2008年11月18日(火) 02:31
国家的課題に浮上した「韓国嫌い」解消
李明博 | 光復節 2008/08/16
李明博(イ・ミョンバク)大統領が光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)の祝辞で「韓国人が世界で尊重されるようにするためには、われわれのイメージ、われわれの評判を画期的に高めなければならない。任期内に韓国の国家ブランド価値を先進国レベルに引き上げる」と述べた。その上で、大統領直属の国家ブランド委員会を設置することを明らかにした。
1948年に政府が樹立された当時の大韓民国は、コンゴ、ガボン、ガーナなど大部分のアフリカ国家にもかなわないほど最貧国だった。しかし、現在の大韓民国は世界13位の経済大国だ。過去60年間で経済規模は750倍、一人当たりの所得は300倍に膨らんだ。世界銀行をはじめとする国際機関は「経済的奇跡を成し遂げた代表例」として韓国を挙げる。
しかし、大韓民国の世界における地位とイメージ、評判はそんな経済力の足元にも及ばない。国家ブランド評価機関のアンホルトGMIは昨年、韓国の国家ブランド価値を3510億ドル(約38兆7890億円)と試算した。対国内総生産(GDP)比で37%に相当する数字だ。これに対し、日本は224%、米国は143%、オランダは145%と国家ブランド価値が経済規模をはるかに上回っている。韓国は国家ブランド価値の順位も2005年は25位、06年は27位、07年には32位と後退が続いている。
なぜなのか。まず外国人は韓国といえばまず過激な暴力デモ、労使紛争を思い浮かべる。外国人労働者の人権問題などで韓国人は外国人に対し排他的だというイメージも固まっている。国民一人当たりの政府開発援助(ODA)が経済協力開発機構(OECD)加盟国で最下位圏にとどまっており、国際社会に対する寄与に欠け、ケチだという指摘も受けている。結局は政治、社会、文化、国民意識の発展が経済成長に追い付いていない結果だ。
国家ブランドは国家競争力を高める上で最も重要なソフトパワーだ。観光、輸出、外国人投資の誘致など経済的効果だけでなく、国家の外交力強化という側面でもなくてはならない要素と言える。大韓民国が先進国を目指そうとすれば、まず国家ブランドをアップグレードさせなければならない。だが、政府だけがそれを目指しても成し遂げられるものではない。企業と民間団体、国民全てが関心を持ち、力と知恵を結集させる必要がある。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
☆ちょっと前の記事ですが・・・。
ま、正直な話。 「嘘つき捏造体質」をどうにかしないと無理でしょう。(笑い)
スマトラ沖地震における援助金も未納だし。 世界的な信頼なんかえられるわけ無いでしょ。 本当に。
結論。
国民の質の向上無くして、イメージは上がらん。(爆)
李明博 | 光復節 2008/08/16
李明博(イ・ミョンバク)大統領が光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)の祝辞で「韓国人が世界で尊重されるようにするためには、われわれのイメージ、われわれの評判を画期的に高めなければならない。任期内に韓国の国家ブランド価値を先進国レベルに引き上げる」と述べた。その上で、大統領直属の国家ブランド委員会を設置することを明らかにした。
1948年に政府が樹立された当時の大韓民国は、コンゴ、ガボン、ガーナなど大部分のアフリカ国家にもかなわないほど最貧国だった。しかし、現在の大韓民国は世界13位の経済大国だ。過去60年間で経済規模は750倍、一人当たりの所得は300倍に膨らんだ。世界銀行をはじめとする国際機関は「経済的奇跡を成し遂げた代表例」として韓国を挙げる。
しかし、大韓民国の世界における地位とイメージ、評判はそんな経済力の足元にも及ばない。国家ブランド評価機関のアンホルトGMIは昨年、韓国の国家ブランド価値を3510億ドル(約38兆7890億円)と試算した。対国内総生産(GDP)比で37%に相当する数字だ。これに対し、日本は224%、米国は143%、オランダは145%と国家ブランド価値が経済規模をはるかに上回っている。韓国は国家ブランド価値の順位も2005年は25位、06年は27位、07年には32位と後退が続いている。
なぜなのか。まず外国人は韓国といえばまず過激な暴力デモ、労使紛争を思い浮かべる。外国人労働者の人権問題などで韓国人は外国人に対し排他的だというイメージも固まっている。国民一人当たりの政府開発援助(ODA)が経済協力開発機構(OECD)加盟国で最下位圏にとどまっており、国際社会に対する寄与に欠け、ケチだという指摘も受けている。結局は政治、社会、文化、国民意識の発展が経済成長に追い付いていない結果だ。
国家ブランドは国家競争力を高める上で最も重要なソフトパワーだ。観光、輸出、外国人投資の誘致など経済的効果だけでなく、国家の外交力強化という側面でもなくてはならない要素と言える。大韓民国が先進国を目指そうとすれば、まず国家ブランドをアップグレードさせなければならない。だが、政府だけがそれを目指しても成し遂げられるものではない。企業と民間団体、国民全てが関心を持ち、力と知恵を結集させる必要がある。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
☆ちょっと前の記事ですが・・・。
ま、正直な話。 「嘘つき捏造体質」をどうにかしないと無理でしょう。(笑い)
スマトラ沖地震における援助金も未納だし。 世界的な信頼なんかえられるわけ無いでしょ。 本当に。
結論。
国民の質の向上無くして、イメージは上がらん。(爆)
2008年11月16日(日) 22:30
【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150334001-n1.htm
■村山談話の検証が不可欠だ
≪論文内容は問題でない≫
「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」とする論文を公表した自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が、先の大戦を「侵略」と断じた村山富市首相談話に反するとして更迭された。
田母神論文を読むと、関東軍将校による計画的な事件とされる張作霖爆殺(昭和3年)をコミンテルンの仕業とする異説や、盧溝橋事件(昭和12年)で劉少奇が西側記者に会見を行ったという未確認の話に引きずられている面もあるが、論旨は通っている。
今回、そのような資料評価の問題は、それほど重要ではない。問題は、幕僚長更迭の根拠とされた「村山談話」の当否である。
村山談話が出された平成7(1995)年は、戦後50年の節目の年にあたっていた。自民党と社会党、さきがけの3党による自社さ政権が連立内閣を組織し、最大野党は新進党だった。
先の大戦をめぐって、社会党出身の村山首相はひたすら「謝罪」と「反省」を繰り返し、その村山首相の意に沿わない閣僚や閣僚経験者の多様な歴史観が次々と近隣諸国から非難された。
6月、渡辺美智雄・元副総理兼外相が「日韓併合条約は円満に結ばれた」と発言したことに韓国が反発し、渡辺氏は謝罪した。
8月、島村宜伸文相は「侵略か侵略でないかは考え方の問題」などと発言し、中国・韓国が反発した。文相は厳重注意を受けた。
一方、国会では、「数々の植民地支配や侵略的行為」に「深い反省の念」を表明した戦後50年決議案が、衆院で野党新進党が欠席する中、与党3党の賛成多数で可決されたものの、参院での採択は見送られた。
≪唐突に閣議に出された≫
「遠くない過去の一時期、国策を誤り」と決めつけ、「植民地支配と侵略」に対する「痛切な反省の意」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した村山談話は、そうした異様な政治状況の中で、唐突に閣議に出されたものだった。
8月15日の閣議に先立ち、野坂浩賢官房長官は有力閣僚や与党幹部に内容を詳しく説明せず、「総理の気持ちなので、どうか何も言わずに了解してほしい」と頭を下げて根回ししたといわれる。
閣議では、古川貞二郎官房副長官が村山談話を読み上げた。閣僚は誰一人発言せず、出席者によると、「水を打ったような静けさだった」という。
閣議後の会見で、村山首相は国策を誤った時期について「断定的に言うのは適当ではない」と明言を避けた。日本がいつの時代までさかのぼって謝罪しなければならないのか、今も明確ではない。
当時、運輸相として初入閣した平沼赳夫氏は後に、産経新聞の取材にこう語っている。
「事前の相談は全くなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかなと思った。ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」
この年は、村山談話発表後も、閣僚の発言が中韓両国から非難される状況が続いた。
10月、村山首相が参院本会議で「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と答弁したことにも韓国が反発し、首相は「相互の立場が平等ではなかった」「舌足らずだった」などと釈明した。
11月には、江藤隆美総務庁長官が内閣記者会のオフレコ懇談で「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と話した内容が月刊誌に漏れた。村山首相は江藤長官に厳重注意したが、韓国は納得せず、江藤長官は辞任した。
その江藤氏も生前、村山談話について「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と話していた。
≪作成過程の解明も必要≫
村山談話は、日本の閣僚や政治家の言論が事実上、中国や韓国の“検閲”下にある中で、両国の納得が得られる形で出された外交文書のようなものでもあった。
この11日、参院外交防衛委員会に参考人招致された田母神氏は「村山談話を公然と批判したことはないが、自衛官にも当然、言論の自由は認められているはずで、それが村山談話に制約されることはないと思っていた。私のどこが悪かったか(懲戒手続きで)審理してもらった方が問題の所在がはっきりする」と答えた。
村山談話は当時、内閣副参事官だった松井孝治氏(現民主党参院議員)が起草し、内閣外政審議室長だった谷野作太郎氏(後の駐中国大使)が親しい学者と相談して仕上げたものだといわれる。
今後、国会がすべきことは、村山談話の作成から閣議決定に至る過程をきちんと検証することである。(いしかわ みずほ)
☆TBS/サンデーモーニングでも田母神俊雄航空幕僚長の発言の件を散々に言っておりましたが、やはりその内容の正否には触れず村山談話は正しくて疑ってはいけないと言っておりました。<笑い)
憲法九条もそうですが、どうも一旦決まったものは正しくて絶対変えたらいかんと思っている愚かな政治家や言論人が多いようで笑ちゃいます。
まあ、都合が悪いから何でしょうけどね。
外交的にはイギリスの様に何を言われてもほっときゃ良いのに、自分から悪い方に持って行く頭の悪い政治家が多いのはある意味驚嘆に値しますね。(もしかしたら、確信犯でやっちる可能性もあるが。)
結果的に、中国や韓国を利しているという事が背後に有る者を良く表していると思いますが・・・。
新聞と政治家は自分たちで選ぶことが出来ます。 その意味をよく考えましょう。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150334001-n1.htm
■村山談話の検証が不可欠だ
≪論文内容は問題でない≫
「我が国が侵略国家だったというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」とする論文を公表した自衛隊の田母神俊雄航空幕僚長が、先の大戦を「侵略」と断じた村山富市首相談話に反するとして更迭された。
田母神論文を読むと、関東軍将校による計画的な事件とされる張作霖爆殺(昭和3年)をコミンテルンの仕業とする異説や、盧溝橋事件(昭和12年)で劉少奇が西側記者に会見を行ったという未確認の話に引きずられている面もあるが、論旨は通っている。
今回、そのような資料評価の問題は、それほど重要ではない。問題は、幕僚長更迭の根拠とされた「村山談話」の当否である。
村山談話が出された平成7(1995)年は、戦後50年の節目の年にあたっていた。自民党と社会党、さきがけの3党による自社さ政権が連立内閣を組織し、最大野党は新進党だった。
先の大戦をめぐって、社会党出身の村山首相はひたすら「謝罪」と「反省」を繰り返し、その村山首相の意に沿わない閣僚や閣僚経験者の多様な歴史観が次々と近隣諸国から非難された。
6月、渡辺美智雄・元副総理兼外相が「日韓併合条約は円満に結ばれた」と発言したことに韓国が反発し、渡辺氏は謝罪した。
8月、島村宜伸文相は「侵略か侵略でないかは考え方の問題」などと発言し、中国・韓国が反発した。文相は厳重注意を受けた。
一方、国会では、「数々の植民地支配や侵略的行為」に「深い反省の念」を表明した戦後50年決議案が、衆院で野党新進党が欠席する中、与党3党の賛成多数で可決されたものの、参院での採択は見送られた。
≪唐突に閣議に出された≫
「遠くない過去の一時期、国策を誤り」と決めつけ、「植民地支配と侵略」に対する「痛切な反省の意」と「心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明した村山談話は、そうした異様な政治状況の中で、唐突に閣議に出されたものだった。
8月15日の閣議に先立ち、野坂浩賢官房長官は有力閣僚や与党幹部に内容を詳しく説明せず、「総理の気持ちなので、どうか何も言わずに了解してほしい」と頭を下げて根回ししたといわれる。
閣議では、古川貞二郎官房副長官が村山談話を読み上げた。閣僚は誰一人発言せず、出席者によると、「水を打ったような静けさだった」という。
閣議後の会見で、村山首相は国策を誤った時期について「断定的に言うのは適当ではない」と明言を避けた。日本がいつの時代までさかのぼって謝罪しなければならないのか、今も明確ではない。
当時、運輸相として初入閣した平沼赳夫氏は後に、産経新聞の取材にこう語っている。
「事前の相談は全くなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかなと思った。ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」
この年は、村山談話発表後も、閣僚の発言が中韓両国から非難される状況が続いた。
10月、村山首相が参院本会議で「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と答弁したことにも韓国が反発し、首相は「相互の立場が平等ではなかった」「舌足らずだった」などと釈明した。
11月には、江藤隆美総務庁長官が内閣記者会のオフレコ懇談で「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と話した内容が月刊誌に漏れた。村山首相は江藤長官に厳重注意したが、韓国は納得せず、江藤長官は辞任した。
その江藤氏も生前、村山談話について「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と話していた。
≪作成過程の解明も必要≫
村山談話は、日本の閣僚や政治家の言論が事実上、中国や韓国の“検閲”下にある中で、両国の納得が得られる形で出された外交文書のようなものでもあった。
この11日、参院外交防衛委員会に参考人招致された田母神氏は「村山談話を公然と批判したことはないが、自衛官にも当然、言論の自由は認められているはずで、それが村山談話に制約されることはないと思っていた。私のどこが悪かったか(懲戒手続きで)審理してもらった方が問題の所在がはっきりする」と答えた。
村山談話は当時、内閣副参事官だった松井孝治氏(現民主党参院議員)が起草し、内閣外政審議室長だった谷野作太郎氏(後の駐中国大使)が親しい学者と相談して仕上げたものだといわれる。
今後、国会がすべきことは、村山談話の作成から閣議決定に至る過程をきちんと検証することである。(いしかわ みずほ)
☆TBS/サンデーモーニングでも田母神俊雄航空幕僚長の発言の件を散々に言っておりましたが、やはりその内容の正否には触れず村山談話は正しくて疑ってはいけないと言っておりました。<笑い)
憲法九条もそうですが、どうも一旦決まったものは正しくて絶対変えたらいかんと思っている愚かな政治家や言論人が多いようで笑ちゃいます。
まあ、都合が悪いから何でしょうけどね。
外交的にはイギリスの様に何を言われてもほっときゃ良いのに、自分から悪い方に持って行く頭の悪い政治家が多いのはある意味驚嘆に値しますね。(もしかしたら、確信犯でやっちる可能性もあるが。)
結果的に、中国や韓国を利しているという事が背後に有る者を良く表していると思いますが・・・。
新聞と政治家は自分たちで選ぶことが出来ます。 その意味をよく考えましょう。
2008年11月13日(木) 23:12
訪韓した村山富市元総理インタビュー「大多数の日本国民は「村山談話」を支持している」
(釜山=聨合ニュース)日本の植民地支配に対して謝罪した「村山談話」の主人公である村山富市元日本総 理は11日「村山談話は日本政府の公式見解で誰も否定できないし、大多数の日本国民も支持している」 と述べた。
今年84歳の村山前総理はこの日、釜山海雲台(ヘウンデ)冬椿(ドンベクソム)島内ヌリマルハウスで「李 秀賢(イ・スヒョン)義人文化財団設立委員会」主催で開かれたフォーラムに参加した後、聨合ニュースとの インタビューでこのように語った。
彼は1994年6月から1996年1月まで第81代日本内閣総理を務めた。総理在任中だった1995年に発 表した「日本の侵略を受けた国家に痛切な反省とともに心より謝罪する」と言う内容のいわゆる「村山談 話」は以後、日本政府の公式外交基調になっている。麻生太郎総理も先月、二度にかけて村山談話継承 が日本政府の立場だ、と明らかにした。
☆淡路震災の時に対応を誤って救える人を救わずに被害者を無駄に増やした責任もとらず良く言うね。 本当老害以外の何者でもない。
だいたい、当時支持率が三分の一しかなかったあんたなんか大多数の国民が支持していないよ。 本当に厚かましい。
村山といい。 河野洋平といい。 ろくな奴がおらん。
なんでこんな輩が政治家をやっているのか? 選んだ有権者の愚民ぶりは落ちるところまで落ちたという感じか。
(釜山=聨合ニュース)日本の植民地支配に対して謝罪した「村山談話」の主人公である村山富市元日本総 理は11日「村山談話は日本政府の公式見解で誰も否定できないし、大多数の日本国民も支持している」 と述べた。
今年84歳の村山前総理はこの日、釜山海雲台(ヘウンデ)冬椿(ドンベクソム)島内ヌリマルハウスで「李 秀賢(イ・スヒョン)義人文化財団設立委員会」主催で開かれたフォーラムに参加した後、聨合ニュースとの インタビューでこのように語った。
彼は1994年6月から1996年1月まで第81代日本内閣総理を務めた。総理在任中だった1995年に発 表した「日本の侵略を受けた国家に痛切な反省とともに心より謝罪する」と言う内容のいわゆる「村山談 話」は以後、日本政府の公式外交基調になっている。麻生太郎総理も先月、二度にかけて村山談話継承 が日本政府の立場だ、と明らかにした。
☆淡路震災の時に対応を誤って救える人を救わずに被害者を無駄に増やした責任もとらず良く言うね。 本当老害以外の何者でもない。
だいたい、当時支持率が三分の一しかなかったあんたなんか大多数の国民が支持していないよ。 本当に厚かましい。
村山といい。 河野洋平といい。 ろくな奴がおらん。
なんでこんな輩が政治家をやっているのか? 選んだ有権者の愚民ぶりは落ちるところまで落ちたという感じか。
2008年11月11日(火) 19:48
京都・伏見稲荷大社HPより
なぜ「お稲荷さん」は「朱塗」りなの?
朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられています。当社に限って云えば稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。 ただ、お稲荷さんだけが朱塗りではなく、朱塗りの神社は他にも多くあります。 また朱の原材料は水銀=丹です。これは昔から木材の防腐剤として使われてきました。
http://www.inari.jp/index.html
☆「お稲荷さんがなぜ赤いか?」ということに関しては一般的に上記の解釈であるようです。
ただ、「朱色が魔除けの色」と言うのには、なぜそうなのかという説明はありません。
たぶん、丹を塗った木が腐らないから何らかの神聖な力が宿っていると昔の人が感じたものと推測されます。
朱色が魔除けの色であるなら、全てに朱を塗るはずですがお稲荷さんでも意思の鳥居には塗られていない所をみると、やはり防腐効果で塗られたと考えるのが妥当なようです。 ハイ。
なぜ「お稲荷さん」は「朱塗」りなの?
朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられています。当社に限って云えば稲荷大神様のお力の豊穣を表す色と説明されています。 ただ、お稲荷さんだけが朱塗りではなく、朱塗りの神社は他にも多くあります。 また朱の原材料は水銀=丹です。これは昔から木材の防腐剤として使われてきました。
http://www.inari.jp/index.html
☆「お稲荷さんがなぜ赤いか?」ということに関しては一般的に上記の解釈であるようです。
ただ、「朱色が魔除けの色」と言うのには、なぜそうなのかという説明はありません。
たぶん、丹を塗った木が腐らないから何らかの神聖な力が宿っていると昔の人が感じたものと推測されます。
朱色が魔除けの色であるなら、全てに朱を塗るはずですがお稲荷さんでも意思の鳥居には塗られていない所をみると、やはり防腐効果で塗られたと考えるのが妥当なようです。 ハイ。









