明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
妄想半島
2008年06月17日(火) 18:42
「親日映画」はいかに作られたのか

【新刊】イ・ヨンジェ著『帝国日本の朝鮮映画』(現実文化研究)朝鮮日報より

 2004年、嬉しい知らせがもたらされた。日本の植民地時代に制作された劇映画70篇が発見されたというのだ。しかし、韓国の映画史にとって、「祝福すべきもの」であるはずのこれらの映画は、すぐに「迷惑なプレゼント」であることが分かった。これらの映画は「親日(日本の植民地支配を支持、美化する)映画」だったのだ。

 本書のタイトルは『帝国日本の朝鮮映画』という中立的な表現を用いているが、実際には「植民地朝鮮の親日映画」とした方が正直ではないだろうか。著者は1940年から41年にかけて制作された『支援兵』『半島の春』『家なき天使』という3篇の映画を通じ、この時代の韓国映画が持つ植民地性について集中的に分析した。植民地時代の末期、このような映画を作らざるを得なかった、朝鮮の映画界のエリートたちの心理状態にスポットを当てた本書は、読者を複雑でわびしい気持ちにさせるものがある。

 著者は林種国(イム・ジョングク)の『親日文学論』から方法論を借用している。日本の植民地時代の末期、朝鮮のエリートたちは自発的に「内鮮一体」を唱えることで、劣等感を拭い去ろうとしたというのだ。これは人的・物的な資源を確保する必要性を理由に、朝鮮を「外地」から「内地」に編入した日本の統治戦略によるものだった。論理的には「植民地」ではなく、日本の一つの「地方」になったというわけだ。朝鮮の知識人たちはこのとき、自らを苦しめてきた「植民地性からの脱却」という問題を解決するための突破口を見つけることになった。この時期に誕生した多くの「親日文学」と同じように、映画もまた親日的なものになっていった。結局、本書は自発的に作られた親日映画が無意識であることを突き止めた「告白録」ということになる。

 『支援兵』について扱った章では、植民地としての無力感やうつ状態にさいなまれていた朝鮮の男たちが、いかにして自らの男性性を取り戻し、日本の支配に対する協力の主体となっていったかについて分析している。いわゆる「協力者」としての心情を分析したというわけだ。また、『半島の春』は、朝鮮総督府の主導により、「朝鮮映画株式会社」が設立されるまでの過程を描いたものだが、本書ではそこにおける「協力」のメカニズムが分かる。著者は月刊誌『キノ』の記者を7年間務め、現在は東京大大学院総合文化研究科の研究員として、表象文化論について研究している。



☆人間は誰しも補完と言うフィルターをかけて物事を見聞きしている。 目に写っているものは脳で処理されて初めて見えるのであって、脳が処理出来なければ何の意味も持たない。 そう言う意味では韓半島は未だに酷く偏向された反日というフィルターが掛かっている。

だから、日帝時代で半島は日本だったんで、植民地じゃないんだって。 バカだね〜。

どこの植民地に国会議員をだしたり、中将を輩出した国があるか調べて見ろよ。 イギリスにインド人の国会議員がいたか。 オランダにインドネシア。 フランスにベトナム。 軍人の地位も一兵卒だよ。

1932年から42年までに実施された四回の衆議院議員選挙に東京4区で立候補し、うち32年と37年の二回当選した朴春琴や、戦後戦犯として処刑された洪思翊中将のような人物を他の植民地と言われる国々に見つける事は出来ませんて。(しかも両名とも韓国名のままでした。)


もっと言えば、米国で黒人初の上院議員誕生は昭和41年(1966)。ベトナム戦争当時に黒人の佐官は居なかったし、尉官も居なかった様です。



どこの国に人種差別があって、どこの国になかったか明らかでしょうが。



韓半島もいい加減妄想の世界から抜け出せよ。つらくても現実を見ろよ。(爆)
江戸の庶民生活
2008年06月05日(木) 19:28
エンジョイコリアからの抜粋です。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=105991&tab=five


「下級武士の食生活」より

紀州・和歌山藩の勤番侍であった酒井伴四郎が、江戸での単身赴任中に 書き記した詳細な日記帳から、その食生活を再現したものです。

享保6年(1721年)ころ、江戸は110万の人口をかかえていた。 ロンドンは70万人、パリ50万人、北京70万人だったので、江戸は世界一の人口だった。

伴四郎は、猪ではなく豚をよく食べた。外出先でも、豚鍋で酒を飲んでいる。 豚肉は、多くは味噌やタレなどで味をつけ、猪同様、ねぎと一緒に煮て食べていた。 15代将軍の慶喜は豚肉好きだったことから、「豚一殿」と呼ばれていた。

  江戸時代、一番格式の高い鶴はとくに珍重されていた。二番目は白鳥だった。 鷹狩りの獲物として、将軍家から天皇へ塩漬けの白鳥が献上されていた。 ただし、一般に好まれたのは鴨だった。

自宅の食事の中心は豆腐、外食では蕎麦と寿司、泥鰌であること。 刺身や煮物などの描写もある。 なんと当時はそば屋だけで3762軒もあったそうだ。 またかなり頻繁に酒を飲むことが改めて印象づけられる。 また、マグロが下魚であり、トロなどは見向きもされないものだったことなどが詳細に記される。









☆前に「山鯨」(やまくじら)の所で書いたけど、日本人は結構肉を食べていた。 日本史の授業では明治になって「スキヤキ」を食べる様になった時、「頭から角が生えるなんて噂が広まった。」とかあるので江戸時代の人は肉(特に四つ足動物の)を食べなかったと思い込まされていたが、どうもあれは大方嘘のようである。

明治の政府が自分の正当性を持ち上げるために、江戸時代の後進性をデッチあげたデマの数々の一つじゃ無かろうか? まあ、中国や韓国ほど酷くは無いけどどこの国も多かれ少なかれやっている事なので、スキヤキの件などかわいい物なんだけどね。

義務教育では江戸時代についてはどうも「鎖国」が巨徴されて、300年間あまり進歩が無かった様に教えているけどね。 実際の江戸文化は当時の西洋と比肩する。 衣やそれ以上の部分が沢山ある。


知れば知るほど興味深いのが江戸時代なんだと最近は感じてます。 江戸時代の高い文化が無かったら、明治維新の成功はあり得ないと言うのは正論だと思いますよ。

江戸時代の誤解については、今後も折を見て取り上げたいと思いますので期待していて下さい。 ハイ。
鐙が無いと
2008年05月25日(日) 21:40
昨日に引き続き「馬」の話です。


時代劇で馬は欠かすことの出来ないアイテムで、特に戦場において馬が出てこない映画の方が珍しい位です。

馬に乗ったことの無い人にとってはどうって事ないでしょうけど、乗馬をかじった事のある柴犬にはどうも突っ込みたくなることが有るのです。(笑い)

それは、馬具に関することで具体的には「鐙」についてです。 鐙とは乗馬するときに足先を入れているあれです。 

実は鐙の歴史は意外に新しくて、確認されている最古の例は、紀元前三世紀パルティア(イラン高原東北部に興ったダーハ氏族の1支流)による弓騎兵ということです。

で、アジアですが中国で四世紀頃から遺物が確認されていて、初期のものは片側しか存在しない事から、当初は馬の背に乗る際の足がかりとして使われたものと思われていて、ペアになっており騎乗時の保持の目的として使われた事が確認できるのは、代の副葬品の騎馬傭からだそうです・・・。




勘の鋭い方は気がついたでしょう。 つまり、三国志の時代。 関羽や張飛は鐙のない馬に乗っていたわけですよ。 「関羽は大男だったので、馬に乗った際に足が地面につきそうだった。」といわれていますが、一つには鐙が無いのでそうなった訳でしょう。 もう一つは、キゴウ君が言ったようにアラブ種とは違って中国にいた馬がかなり小さいせいだと思います。

実際、モンゴルの馬はサラブレッドに比べるとかなり小さいことが知られています。「元」を当時の大帝国に導いたモンゴルの馬でさえ小さいのですから三国志時代の馬がどの程度だったかは推して知るべしだと思います。






え〜。本題から外れましたが。 映画で三国志を見ると、鐙がぁ〜




付いてます。(爆笑)



映画で鐙無しで乗馬していることは先ず無いと思います。(笑い)


まあ、しょうが無いと思うのは戦闘シーンで鐙無しで乗ったら落馬しまくりで危険だろうからね。 正直、そこまで言うのは無理な気がします。ハイ


大きな犬
2008年05月24日(土) 18:57
アメリカ・インディアンがを見たとき言った。

「なんて大きな犬なんだ。」



☆柴犬が乗馬をやっていたとき、もともと北米には馬がおらず(正確には紀元前数千年に絶滅していて)インディアンは馬の事を「大きな犬」と呼んでいた事を知りました。

母親にそのことを話すと「でも、西部劇では馬に乗っているじゃない。」としばらくは信じてもらえませんでしたが・・・。(今も、信じていないかもしれないが。 笑い。) 

まあ何事も映像などで見せられると印象が強くて忘れられなくなる物ですが、映画やテレビはあくまでも創作物であって、事実と異なる事が多くあることは認識しておいた方がよいです。


ハッキリ言えば、ほとんどはフィクションです。



☆ラスト・オブ・モヒカンとカスター将軍

この話を雲池垢斎殿に話すと、「映画『ラスト・オブ・モヒカン』ではインディアンが馬に乗らず、走っているよ。」と教えてくれました。 珍しく時代考証がちゃんとしている映画の様です。 まだ、見てはないのですが。

色々調べてみると、インディアンが馬に乗りだしたのは19世紀の半ばくらいの様です。つまり「ラスト・オブ/モヒカン」の舞台となったアメリカ独立(1783年)以前では当然インディアンは馬に乗っていない。

では有名なカスター将軍(実際は中佐)の「リトルビッグホーンの戦い」は1876年ですからこの頃はインディアンも馬に乗っていた事になります。 ダンスウィズ・ウルヴスも同じ頃の様です。

注)妻リビー・カスターは夫の死後、カスターの神格化に奔走し、新聞や出版物を使い、カスターがあたかも残虐なインディアンの奸計に落ちた正義の人であるかのようなイメージ作りを行ったようです。


まあ、いつの時代も歴史は都合の良いように創作されやすいようです。




  次回は、馬つながりで三国志をやってみたいと思います。

  歴史には意外に多い、大きな勘違い??(笑い)
山鯨(やまくじら)
2008年05月03日(土) 09:40
 迷信的歴史 山鯨編


「聖徳太子が仏教を国教と定めた後。殺生を堅く戒めた仏教の教えにより、明治に至まで肉は食されなかった。」と信じている御仁が今でもおられるでしょうか?

小中学生の頃は、柴犬も単純にそう思っていたが大人になって雑多な情報が入ってくるにつれて、またその情報を処理することで今まで信じて来たことが思い違いであることに気がつくことになる。

小学生の時の推薦図書で題名は忘れたが、土佐の鯨漁を題材にしたものを読んだことがある。「鯨の肉を将軍様に献上する」と書いてあったので江戸時代の話であろう。

現在なら「鯨もほ乳類だろう」と突っ込みが入るところだろうけど、当時は「四つ足」でなければ動物と見なされず、食べることができたようだった。



では、本当に「四つ足」は食べなかったのかと言うと、そんなことは無い。 よく知られているのは「兎」である。「兎は四つ足じゃない。鳥だ。だから、一羽二羽と数える。」そう言って食べていた。(笑い)





そこで、「山鯨」である。





こどもの頃から猪の事を山鯨と呼ぶ事は知っていた。 しかし、そう呼ぶ本当の理由に最近気がついた。

猪は家畜化された豚の先祖である。(中国語では「猪」は一般的にブタを意味していて、イノシシを表記したい場合、「野猪」と書かなければならない。) その肉が不味いわけはない。


昔の人も食べたかったに違いない。 で、どうしたか?





「これは、山にいる鯨だ。」(爆笑) 






と、言って食べたんだろうね。(笑い) (一説には肉の食感が鯨肉に似ているためと言われる。)



新説だけどどうでしょうか? (笑い)






【迷信】科学の知識がある程度有れば、まちがいだということに気づくはずの事を、正しいと思いこむこと。


<猪> Wikiより抜粋

獣肉食が禁忌とされた時代も、山間部などでは「山鯨(やまくじら)」(肉の食感が鯨肉に似ているため)と称して細々と、あるいは堂々と食べられており、「薬喰い」の別名からもわかるように、滋養強壮の食材とされていた。白い脂肪に縁どられた赤いイノシシの肉は、切り分けて皿に盛った状態が牡丹の花のようであることから「牡丹肉」とも言われる(日本画でよくある画題の「牡丹に唐獅子、竹に虎」から来た名称との説もある)。

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