明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
終戦記念日に思う。
2008年08月16日(土) 21:15
昨日は終戦記念日でした。今年は北京オリンピックが開催されているせいか戦争に関する放送も盛り上がらなかった様に感じます。

戦後日本は、大東亜戦争(第二次世界大戦)をきちんと評価することができないままに今まで来てしまい、そのことが政治的、とくに外交や教育に関して悪い影響を残しているのが残念です。 そういう理由で非常に簡単に大東亜戦争の評価を行いたいと思います。



1.世界史はいつ始まる。

さて、世界史 world history というものがいつから始まったかと尋ねたら、あなたはどう答えますかね?

多くの人は、「ラスコー洞窟の絵」とかネアンデルタール人とかクロマニヨン人とか言い出すのではないかと思いますが・・・・。  

それは、人類史 the history of man であって世界史じゃありませんって。(まあ、世界史も人類史の一部なんだろうけど。)世界史の教科書がそういうところから始まるので誤解している人が多いです。

では、ギリシャ・ローマ、メソポタミアやインダスや中国などの四大文明の発祥からが世界史の始まりかというとそうでもない。 なぜなら、それらの文明は大きいと言っても所詮はそれらの限定的な地域の歴史であって、それらの文化文明が全世界に影響をあたえた訳ではないからです。


2.20世紀前半迄を一言で言えば。

では、一つの文明が世界的に影響を与えるようになったのはいつからかというと、それはご存じ大航海時代 the Age of Great Voyages からなのです。 つまり、15世紀から始まったヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの海外進出が世界史の幕開けなのです。

これ以後、一つの国の出来事が世界中に影響を与え、また主としてヨーロッパくにの影響を無視して自国の独立を保つ事ができなくなったわけです。

事実、スペインによって滅ぼされたアステカやインカ帝国を例に挙げるまでもなく、インド・アジア大陸・アメリカ大陸にある国や民族の多くが、あるものは滅ぼされ残ったものは植民地とされていったのです。

そして19世紀末までには世界は欧米の宗主国と彼らに支配された植民地とにほぼ色分けできるようになり、アジアでは日本とタイの僅か二カ国だけが自主独立を保っていたわけです。

中国はアジアの盟主としての力を失い欧米列強により租界地を削り取られていたし、韓半島に至っては自力で独立を保つ事をあきらめて日本に併合を申し込み日本の一部となっていました。(韓国併合ニ関スル条約は、寺内正毅統監と李完用首相が調印して裁可公布して発効したものであり、国際法上なんの問題もありません。)

まあ、そう言うわけで大東亜戦争前の世界を一言で言えば「植民地」時代だったということです。


3.20世紀後半は? では、20世紀前半までの世界史を表す言葉が「植民地」だったとすれば、20世紀後半を表す言葉は何でしょうか? それはやはり「東西対立」でしょう。 1991年にソ連が崩壊して終わりを迎えるまで自由陣営と社会・共産陣営が対立が世界の構図でした。


20世紀前半までの「植民地時代」と20世紀後半の「東西対立時代」の間にあるのが、大東亜戦争です。 つまり、大東亜戦争にはこの二つを繋ぐ意味があるわけです。



4.大東亜戦争とはなんだったのか?

では、その意味とは何でしょうか?


それは、ズバリ「人種平等と植民地解放」です。

4−1 アジアへの侵略戦争と言う誤り。 未だに、いるんですよね。大東亜戦争を「アジアへの侵略戦争」だったと言う人。(笑い) あまりにも、洗脳されてませんかと言いたくなる。



こういう人に尋ねたい。



当時東南アジアに”アジア諸国”と呼べる国がどれだけ有りましたかね?

 西洋諸国の植民地が有ったので、西洋諸国との戦いの間違いでしょう。イギリス・オランダ・フランスなどとの戦いを西洋諸国の戦いと呼ばずして、何というのでしょうか? 

 日本軍が敗戦した後、これらの国々は厚かましくも植民地を取り返しに来ましたが高まっていた独立意識により、自ら銃を取り独立していきました。インドネシアの独立運動ムルデカ他の独立運動に多くの日本兵が協力し命を失ないましたがこの事をどう考えでしょうか? 侵略者がなんで独立の手助けをしたのでしょうか? 

 パラオの国旗はいまだに日の丸の色違いです。ビルマは建国記念日のビルマ軍の行進に日本の「軍艦マーチ」と「日本陸軍の歩兵の歌」を使用してました。(ミャンマーに変わってからは不明。)他にも多々ありますが、キリがないので割愛しますが、これらの国は何で旧日本軍との関わりを持つのでしょうか?

 そもそも植民地に甘んじていた彼らは当時キチガイじみた行為であった植民地からの独立を目指そうと決起したのでしょうか?



4−2 当時人種差別をしていたのは誰か? 

1919年、パリ講和会議。第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう、国際連盟創設のための議論が進められていた。米国の黒人たちが注目していたのは、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加したあった。それは日本です。

日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った時には、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長モンロー・トロッターなど、黒人社会の指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出した。自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願したのである。

 全米黒人新聞協会が発表したコメントである。人種差別に苦しむアメリカ黒人社会は、有色人種でありながら世界の大国の仲間入りした日本を、人種平等への旗手と見なしていた。

しかし、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが、議長であった米国大統領ウィルソンの「全会一致でない」という詭弁によって退けられた。ウィルソンは、人種平等を盛り込んだ連盟規約が、米国南部や西部の議員たちの反対で、批准されるはずのない事が判っていたからです。

現在このことを知っている人はほとんどいない。



4−3 独立の意志はどこから生まれたか?

 真珠湾攻撃。その時ウー・ソウ(イギリス領ビルマ首相)が目にしたもの、それはおよそアジア人の常識を逸脱しすぎていた。ビルマ独立を訴えてチャーチルにもルーズベルトにも無視されたウー・ソウが失意の内に立ち寄ったハワイで目にしたもの・・・。「白人の力と叡智の象徴」であると思われていた飛行機を操る有色人種! おびえて逃げまどう白人! それは初めて見る予想もしなかった光景だった!!


戦後におけるアジアからの声

 以下は、1973年にタイの首相になったククリット・プラモードの言葉である。  日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。

それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。


日本が進駐した地域は、それまで数百年にわたって芙.仏.蘭.米の植民地だった国々だ。それら列強勢力を駆逐した日本の行為を「侵略」と呼ぶなら、東南アジアの民衆にとって白人の支配は何だったのでしょうか? 彼らは白人を歓迎し、その植民地でいるほうが良かったとお思いですか?

僕は日本軍が「白人には勝てないと諦めていたアジアの人々に、白人に打ち勝つ希望を与えた。」と断言します。 



4−4 後の歴史家はどう評価したのか?

高名な文明論者、アーノルド・トインビーは、大東亜戦争について以下のような客観的評価をしている。

 「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間にいわれたような不敗の神ではないこ を明らかにしたことである」(「オブザーバー」紙、一九五六年十月二十八日付)

 東南アジアの民衆は、日本軍のたったの一撃で白人支配がもろくも崩れ去ったのを目の当たりにした。そして日露戦争における日本の勝利以上に大きな刺激を受けたのだ。白人の絶対不敗神話の崩壊は、人々に強い自信をもたらし、植民地解放のきっかけと力になったのである。



やはり有名なイギリスの歴史学者、H・ウェルズは終戦直後、大東亜戦争で日本が果たした世界史的役割について、「大東亜戦争は大植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた」と述べている。このような世界民族平等の理念は、現在の国際連合(UN)発足の基礎にもなったものだ。



5 まとめ

正直、今日本を始めとするアジアの人々。いや、それ以上に全ての有色人種が白人に”Colord”と蔑まれることもなく、対等に話ができるのは大東亜戦争を戦って犠牲となった多くの先人達のおかげである。

たとえ、中国や韓国。そして白人諸国の一部があの戦争の事を悪く言おうと気にすることは無い。なぜなら、私はあの戦争の意味を知っているし。 そもそも戦争に善悪を付けること自体が無意味であるからです。(どっちもが正義だと思わなきゃ戦争にはならんだろ。大東亜戦争以前にも以後にも善悪を宣言された戦争が無いのはなぜか考えて欲しい。)

さっそく読ましてもらいました
終戦記念日になると 必ず 不戦の誓い とか 過ちを二度と繰り返さない とかいいます
粉骨は  “不戦の誓い”は結構なことと思うけど(できることなら)
“過ちを・・・・・” は 納得できないんです ここが今の日本人の問題点だと思うんです
なにが過ちだったのか わかってるのか と言いたくなるんです
柴犬殿おっしゃる “戦争に善悪をつけるのは無意味” に同感です
その時のその状況では自分たちが正義と思い 実際正義だったと思うんです
粉砕骨折殿
来訪ありがとうございます。

日本人の曖昧さは時には美徳なんですが、事政治や外交においてはマイナスに働いているとしか思えません。

”過ち・・・”についても本当に自分で追求した事ではないのでしょう。 それが、残念です。
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