2008年04月27日(日) 22:51
「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー
何のための、だれのための「平和の炎」なのか。26日、3000人規模の厳戒態勢の中で行われた北京五輪の聖火リレー。沿道を埋め尽くす真っ赤な中国国旗と、時折揺れるチベットの雪山獅子旗。出発式会場に一般客は入れず、平和の祭典を象徴するイベントは「市民不在」で進んだ。「チベットに自由を」「ゴーゴーチャイナ!」。チベット問題を訴えるプラカードも掲げられ、タレントの萩本欽一さんや卓球の福原愛さんが走行中には男が取り押さえられる場面もあった。善光寺で知られる仏都・長野市は終日騒然とした空気に包まれた。(林英樹、永原慎吾)
ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。
男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(38)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。
タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。
父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。
「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」
チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。
タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。
☆長野のリレーが行われている間、のんびり城崎温泉に行って来ました。 申し訳ない。
実は柴犬はインドに二回。 延べほぼ一月滞在していて、一回はカシミールに行っています。 インドにはご存じのようにチベットからの亡命者が数多く住んでいて、チベタン料理屋などをやっております。
味にバリエーションの少ないインド料理に飽きると、チベタン料理屋に行ってベジヌードル(野菜焼きそば)を食べておりました。 それも毎日のように。(笑い)
国境の町カシミールでは特にチベタンが多くて、ひいきにしていた料理屋の主人がしみじみと「亡命してから16年経つが、一生チベットには戻れないだろう。」と話しておりました。
長野の聖火リレーなどを見ているとあまりに「平和ボケ」した長野人のコメントに腹立たしさを感じましたが、多分長野に限らずあれが大多数の日本人の現状なんでしょう。
非常に残念ですが。
戦後の日本復興の立役者であった、白州次郎がその唯一の著書「プリンシプルのない日本」の中で「国民はもっと世界を知らないといけない」と1960年頃の文藝春秋で書かれていますが、それから半世紀を経た今でも状況は変わらないようです。
これほど海外に渡航する人が増えているにも係わらず、相変わらずの世界情勢音痴と言うか平和ボケした人々を見ると、日本の夜明けは遠いなと感じて少し悲観的になってしまう今日この頃です。
観光も良いですが、腰を据えて現地に滞在し現地の人とコミュニケーションして肌で海外を知る事の出来る日本人が増える事を祈ってやまないものです。 ハイ。
何のための、だれのための「平和の炎」なのか。26日、3000人規模の厳戒態勢の中で行われた北京五輪の聖火リレー。沿道を埋め尽くす真っ赤な中国国旗と、時折揺れるチベットの雪山獅子旗。出発式会場に一般客は入れず、平和の祭典を象徴するイベントは「市民不在」で進んだ。「チベットに自由を」「ゴーゴーチャイナ!」。チベット問題を訴えるプラカードも掲げられ、タレントの萩本欽一さんや卓球の福原愛さんが走行中には男が取り押さえられる場面もあった。善光寺で知られる仏都・長野市は終日騒然とした空気に包まれた。(林英樹、永原慎吾)
ハプニングは突然起きた。JR長野駅や善光寺周辺と比べて、比較的観客の数が少ないコース中ごろの沿道。「フリーチベット!」。チベットの旗を握りしめた男がロープをまたいで車道へ飛び出し、聖火ランナーの列に飛び込んだ。警官隊に取り押さえられ、地面に顔を押さえつけられながらも、「フリーチベット」の泣き叫ぶような声は消えない。
男は、台湾に住む亡命チベット人2世の古物商、タシィ・ツゥリンさん(38)。「私はオリンピックに反対しているわけではない。ただ、チベットの惨状を全世界に訴える絶好の機会だと思っている」。この日朝、沿道の別の場所でチベットの旗を広げていたタシィさんは記者にそう話していた。
タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。
父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。
「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」
チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。
タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。
☆長野のリレーが行われている間、のんびり城崎温泉に行って来ました。 申し訳ない。
実は柴犬はインドに二回。 延べほぼ一月滞在していて、一回はカシミールに行っています。 インドにはご存じのようにチベットからの亡命者が数多く住んでいて、チベタン料理屋などをやっております。
味にバリエーションの少ないインド料理に飽きると、チベタン料理屋に行ってベジヌードル(野菜焼きそば)を食べておりました。 それも毎日のように。(笑い)
国境の町カシミールでは特にチベタンが多くて、ひいきにしていた料理屋の主人がしみじみと「亡命してから16年経つが、一生チベットには戻れないだろう。」と話しておりました。
長野の聖火リレーなどを見ているとあまりに「平和ボケ」した長野人のコメントに腹立たしさを感じましたが、多分長野に限らずあれが大多数の日本人の現状なんでしょう。
非常に残念ですが。
戦後の日本復興の立役者であった、白州次郎がその唯一の著書「プリンシプルのない日本」の中で「国民はもっと世界を知らないといけない」と1960年頃の文藝春秋で書かれていますが、それから半世紀を経た今でも状況は変わらないようです。
これほど海外に渡航する人が増えているにも係わらず、相変わらずの世界情勢音痴と言うか平和ボケした人々を見ると、日本の夜明けは遠いなと感じて少し悲観的になってしまう今日この頃です。
観光も良いですが、腰を据えて現地に滞在し現地の人とコミュニケーションして肌で海外を知る事の出来る日本人が増える事を祈ってやまないものです。 ハイ。
おっしゃるように、
私もそのような「平和ボケ」に苛立つ時も無いとは言えないのですが、
そんな「平和ボケ」でない国々に
平和的な社会が築けているかというとそうでもないようです。
・・・
年とともに・・・こんな「平和ボケ」でも
肯定的に捕らなおす事の出来る、そんな一面(のパワー)を秘めているかも、
などと再考する日々です。
私もそのような「平和ボケ」に苛立つ時も無いとは言えないのですが、
そんな「平和ボケ」でない国々に
平和的な社会が築けているかというとそうでもないようです。
・・・
年とともに・・・こんな「平和ボケ」でも
肯定的に捕らなおす事の出来る、そんな一面(のパワー)を秘めているかも、
などと再考する日々です。
Shosyo殿
確かに何が幸いするか分かりませんからね。 今回フランスでも北朝鮮での拉致被害者が報道されEUでも注目を浴びているようです。 歴史の流れが日本に向いてきているようですね。 ハイ。
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