明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
やは肌のあつき血汐にふれも見で
2007年01月03日(水) 17:35
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

与謝野晶子の「みだれ髪」。 中学国語の授業ではこれを戦地に向かう弟へ送った歌だと習った。

しかし、「幾らなんでもそれはないんじゃない。 これはどう見ても、秘めた恋心を歌ったもんでしょ。」と子供ごころに納得がいかなかった。  そして最近・・・。


これはどうも、与謝野鉄幹との不倫を歌ったのではないかという説がでてきた。 つまり、ここで「君」は鉄幹で、晶子の恋心に対して既婚だった鉄幹が「人の道、道徳」を説いた歌ではないかということです。

この話を聞いたとき、心の一角に眠っていた疑問が氷解したように感じたね。 それにしても、中学の頃に学んだ事をよく覚えていたものだ。 (笑い)

晶子と鉄幹について、少し解説すると。

1900年(22歳)、4月に鉄幹が『明星』を創刊すると同誌で歌を発表した。8月に初めて鉄幹と出会い、恋心が爆発、翌夏には鉄幹を追って家出同然で上京する。(強烈だね。)

1901年8月 鳳晶子の名で第一歌集『みだれ髪』を刊行。

その2ヵ月後に妻と別れた鉄幹と結婚する。時に晶子23歳、鉄幹28歳。女性が自我や性について語ることがタブーだった保守的な明治の世にあって、愛の情熱を自由奔放かつ官能的に歌い上げた『みだれ髪』は一大センセーションを巻き起こした。

鉄幹との愛は「略奪愛」だったわけです。どうみても鉄幹との秘めた愛でしょこれは。

ちなみに弟の出兵時期ですが、よく分かりませんでした。 しかし、日露戦争が1904年(明治37年)2月6日に日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシア公使ローゼンを外務省へ呼び、国交断絶を言い渡した時からなので、「みだれ髪」の刊行時期にくらべるとずいぶん遅くて切迫感はない。

みなさんどう思う? 


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この時代としては、確かにセンセーションなことでしたよね~。
そこまで愛し、愛され・・・うらやましいです。(そんなレベルじゃ~ないか!?)

女の側からしても、この詩は愛を感じますよ〜。弟に対して・・・って感じは、全くないです。

そ〜だよね〜って納得できる解釈ですね!
Re:ニコラさんへ
ありがとうございます。 女性にそう言ってもらえると、心強いです。

現代人でも強い情念を感じるくらいですから、恋愛に対して控えめだった当時の人にとっては
かなり強烈だったのではと思いますよね。 ぷらす、色香も感じるしね。 凄い歌です。

昨日(平成20年8月23日)の産経新聞の23面に、

堺時代の代表作に詠まれた”君”とは、文学仲間の覚応寺住職、
河野鉄南との説が有力だ。 聖職者に....恐ろしく大胆な挑発行為!

とある。筆者は写真家のアラーキーこと荒木経惟氏。

私も、35才も若い女性から同じような厚意を受け、鉄南氏と同様の
対処をしてしまった。 それでよかったのだろう。次回(生涯2回しか
逢ってはいないが)に、27才までには結婚しますとのことだった。
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