2008年07月09日(水) 01:08
いや〜。 美しいです。(笑い)

陸奥亮子(1888年頃、亮子33歳頃の写真)
写真の主は陸奥 亮子(むつ りょうこ、1856年(安政3年)〜1900年(明治33年))と言われます。 明治時代の政治家で外交官であった伯爵陸奥宗光の夫人で、その美貌と聡明さによって「ワシントン社交界の華」とよばれたそうです。
柴犬が今回話題にしたのは、残念ながらその美しさではなくて(もちろん美しいですが) その経歴です。
彼女は、明治の初めに東京新橋柏屋の芸妓となり、新橋で一、二を争う美貌の名妓だったとい割れています。花柳界に身を置きながら、男嫌いという評判もあり、身持ちも堅かったといわれる。1872年、陸奥宗光の先妻蓮子が亡くなり、翌1873年(明治6年)、17歳のとき宗光に見初められて後妻となった。
1888年(明治21年)、駐米公使となった宗光とともに渡米。その美貌、個人的魅力、話術によって第一等の貴婦人と謳われ「ワシントン社交界の花」「駐米日本公使館の花」と称されたと言うことです。
☆ここで注目したいのは、亮子が花街の出身だと言うことです。
どうも、花街をそして芸者を直ぐに売春と結びつけて”Prostitute”と外人に説明すると、完全に誤解を与えると思うのでその辺は慎重にお願いしたいのですが・・・。
まあ、体を売るのは遊女なんですが、これも単に売春婦と言うには海外でのイメージとの間にかなりギャップがあるようなのでどうかと思いますが。 この当たりはちゃんと調べてから書こうとは思っているのですが・・・。
なかなかできません。(笑い)
まあ、芸者とか花魁とか呼ばれる人達は厳しくしつけされ教養も身につけさせられた事を知っていれば、安易な誤訳は出来ないと思うのですが。
"perception gap" 文化や宗教による認識のギャップというのは大変難しいです。 ハイ。
しかし、ホント美しい。

陸奥亮子(1888年頃、亮子33歳頃の写真)
写真の主は陸奥 亮子(むつ りょうこ、1856年(安政3年)〜1900年(明治33年))と言われます。 明治時代の政治家で外交官であった伯爵陸奥宗光の夫人で、その美貌と聡明さによって「ワシントン社交界の華」とよばれたそうです。
柴犬が今回話題にしたのは、残念ながらその美しさではなくて(もちろん美しいですが) その経歴です。
彼女は、明治の初めに東京新橋柏屋の芸妓となり、新橋で一、二を争う美貌の名妓だったとい割れています。花柳界に身を置きながら、男嫌いという評判もあり、身持ちも堅かったといわれる。1872年、陸奥宗光の先妻蓮子が亡くなり、翌1873年(明治6年)、17歳のとき宗光に見初められて後妻となった。
1888年(明治21年)、駐米公使となった宗光とともに渡米。その美貌、個人的魅力、話術によって第一等の貴婦人と謳われ「ワシントン社交界の花」「駐米日本公使館の花」と称されたと言うことです。
☆ここで注目したいのは、亮子が花街の出身だと言うことです。
どうも、花街をそして芸者を直ぐに売春と結びつけて”Prostitute”と外人に説明すると、完全に誤解を与えると思うのでその辺は慎重にお願いしたいのですが・・・。
まあ、体を売るのは遊女なんですが、これも単に売春婦と言うには海外でのイメージとの間にかなりギャップがあるようなのでどうかと思いますが。 この当たりはちゃんと調べてから書こうとは思っているのですが・・・。
なかなかできません。(笑い)
まあ、芸者とか花魁とか呼ばれる人達は厳しくしつけされ教養も身につけさせられた事を知っていれば、安易な誤訳は出来ないと思うのですが。
"perception gap" 文化や宗教による認識のギャップというのは大変難しいです。 ハイ。
しかし、ホント美しい。


