2008年03月14日(金) 19:27
春の陽気に誘われて、ふらふらと高梁川沿いを散策してきました。
そこで見つけたのが、以外な文化財。 一ノ口水門です。
○一ノ口水門は,1645年に作られたパナマ運河と同じ閘門式運河。

舟尾,長尾,玉島一帯の干拓新田一千余町歩が,備中松山藩主及び水谷氏3代により造成され以来,用水の取水取門として重要な役目を果たしてきた。 またこの水門より玉島港に至る約10kmの水路は,高瀬舟が運行され,通称「高瀬通し」といわれた。水谷氏はここより,300m下流にニノ水門を設けて閘門式運河としたが,これはパナマ運河より,実に200数十年前のことであり,閘門式としては,わが国最古に属する。
高瀬舟は,秋から春まで,備中北部と玉島港を結び,物資を積んで盛んに上下した。 大正14年高梁川改修工事の完成により一ノ口水門は東岸酒津分水樋よりサイフォン方式の,用水取り入れ口に改造せられるまで,約200余年の間,用水路,運河の関門として活用されたもので,先人の功績を物語る重要な記念物である。
☆規模でいったらオランダで見た運河の水門とは比較にならないけど、はるか以前によく作ったものです。ここを高瀬舟が往来していたと思うと感慨深いですね〜。
そこで見つけたのが、以外な文化財。 一ノ口水門です。
○一ノ口水門は,1645年に作られたパナマ運河と同じ閘門式運河。

舟尾,長尾,玉島一帯の干拓新田一千余町歩が,備中松山藩主及び水谷氏3代により造成され以来,用水の取水取門として重要な役目を果たしてきた。 またこの水門より玉島港に至る約10kmの水路は,高瀬舟が運行され,通称「高瀬通し」といわれた。水谷氏はここより,300m下流にニノ水門を設けて閘門式運河としたが,これはパナマ運河より,実に200数十年前のことであり,閘門式としては,わが国最古に属する。
高瀬舟は,秋から春まで,備中北部と玉島港を結び,物資を積んで盛んに上下した。 大正14年高梁川改修工事の完成により一ノ口水門は東岸酒津分水樋よりサイフォン方式の,用水取り入れ口に改造せられるまで,約200余年の間,用水路,運河の関門として活用されたもので,先人の功績を物語る重要な記念物である。
☆規模でいったらオランダで見た運河の水門とは比較にならないけど、はるか以前によく作ったものです。ここを高瀬舟が往来していたと思うと感慨深いですね〜。


