2008年01月16日(水) 22:01
先日、イスラム教圏では民主主義が難しいという記事を書載せました。 読んで頂いた方の中には、「それじゃ同じ一神教のキリスト教やユダヤ教はどうなんだ。キリスト教は民主主義の生みの親だろう?」と思った方も多いのでは。 実は、柴犬もつい最近までそう思っていましたから。
調べてみると西洋における民主主義は、彼らが信仰を捨てる又は妥協することで成立したことが判るんだけどね。 いや、本当に。 でも、そう言う見方で歴史を見てないと見えない?
ハッキリ言います「一神教の神を捨てた所から民主主義は復活した。」
あるいは「絶対を諦めたので、民主主義が復活した。」 (神は絶対だから)
と言うことです。復活したと書いたのはご存じの様に、古代ギリシャ・ローマで既に 民主政治と言うものが芽生えていたからです。(もちろん現在の民主主義とは異なります。)
では、どうしてギリシャ・ローマに既に存在した民主政治と言うもの欧米に起こる市民革命を経るまで成立しなかったかと言うことが疑問だったのです。 不思議に思っていた人。 いるでしょ。 多分、いると思います。
では、近代民主主義の発端となった市民革命を宗教的な面から見てみましょう。
○清教徒革命(イギリス) 絶対主義からの脱却
清教徒革命『ウィキペディア(Wikipedia)』より
清教徒革命/ピューリタン革命(せいきょうとかくめい/ピューリタンかくめい、英語:Puritan Revolution または Wars of the Three Kingdoms)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命である。広義には1638年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、「大反乱」「三王国戦争」もしくは名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる。
この革命で重要なのは、「チャールズ1世は王権神授説にもとづき議会と対立」したと言うことです。つまり、王権神授説「王権は神から付与されたものであるから、王は人民に拘束されることがなく、王のなすことに対して人民はなんら反抗できない」をより所とした王側に対して議会が勝利し、王権神授説を基にする絶対主義から脱却したわけです。
○フランス革命
ベルサイユの薔薇のおかげでフランス革命を知らない人はいないけど、その意義を判っている人は多分少ない。近代民主主義の興りは『フランス革命』によるところが大なのだけど、どうも我々日本人はフランス革命と言うと、マリーアントワネットやルイ16世のギロチン処刑イメージが強くてね〜。 王侯貴族社会への反抗と思っている人が多い様ですが。 第一身分である聖職者及び第二身分である貴族に対して第三身分である平民が反乱を起こしたのであって、宗教革命としての一面が大きいのですよ。
フランス革命 キリスト教との関係 『ウィキペディア(Wikipedia)』
革命派には無神論者や「理性主義」者が多く、その信奉する教義・主義に既存の宗教の存在が邪魔なため、キリスト教は徹底的に弾圧された。当時カトリック教会の聖職者は特権階級に属していた。革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められた。
エベールらは「理性」を神聖視し、これを神として「理性の祭典」を挙行した。ロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「最高存在の祭典」を開催した。しかし、ロベスピエールが処刑され、一度きりに終わり定着しなかった。
その後もカトリック教会への迫害はしばらく続いたものの、1801年にナポレオンがローマ教皇とコンコルダートを結んで和解した。
フランス革命が落ち着くのはこの後からで、このことからも宗教色が強かったことが判ると思います。
☆市民革命に関してはもちろん宗教的な背景以外にも経済的な背景など諸々の要素がからんでいる上に諸説があって、簡単に理解できないのですが、そこを曲げて宗教的な側面から簡単に言えば上記の様になると思います。
一神教徒の言う、「唯一にして絶対の神」はいない。 だから、「絶対的な権力を認めずに、みんなでやろう。」となったのが民主主義の復活につながったわけです。
どう思いますか? 納得いきませんか?
それじゃ、次回はもう少し歴史をさかのぼって、「一神教の神」が民主主義を追い出した状況を見てみましょう。
調べてみると西洋における民主主義は、彼らが信仰を捨てる又は妥協することで成立したことが判るんだけどね。 いや、本当に。 でも、そう言う見方で歴史を見てないと見えない?
ハッキリ言います「一神教の神を捨てた所から民主主義は復活した。」
あるいは「絶対を諦めたので、民主主義が復活した。」 (神は絶対だから)
と言うことです。復活したと書いたのはご存じの様に、古代ギリシャ・ローマで既に 民主政治と言うものが芽生えていたからです。(もちろん現在の民主主義とは異なります。)
では、どうしてギリシャ・ローマに既に存在した民主政治と言うもの欧米に起こる市民革命を経るまで成立しなかったかと言うことが疑問だったのです。 不思議に思っていた人。 いるでしょ。 多分、いると思います。
では、近代民主主義の発端となった市民革命を宗教的な面から見てみましょう。
○清教徒革命(イギリス) 絶対主義からの脱却
清教徒革命『ウィキペディア(Wikipedia)』より
清教徒革命/ピューリタン革命(せいきょうとかくめい/ピューリタンかくめい、英語:Puritan Revolution または Wars of the Three Kingdoms)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命である。広義には1638年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、「大反乱」「三王国戦争」もしくは名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる。
この革命で重要なのは、「チャールズ1世は王権神授説にもとづき議会と対立」したと言うことです。つまり、王権神授説「王権は神から付与されたものであるから、王は人民に拘束されることがなく、王のなすことに対して人民はなんら反抗できない」をより所とした王側に対して議会が勝利し、王権神授説を基にする絶対主義から脱却したわけです。
○フランス革命
ベルサイユの薔薇のおかげでフランス革命を知らない人はいないけど、その意義を判っている人は多分少ない。近代民主主義の興りは『フランス革命』によるところが大なのだけど、どうも我々日本人はフランス革命と言うと、マリーアントワネットやルイ16世のギロチン処刑イメージが強くてね〜。 王侯貴族社会への反抗と思っている人が多い様ですが。 第一身分である聖職者及び第二身分である貴族に対して第三身分である平民が反乱を起こしたのであって、宗教革命としての一面が大きいのですよ。
フランス革命 キリスト教との関係 『ウィキペディア(Wikipedia)』
革命派には無神論者や「理性主義」者が多く、その信奉する教義・主義に既存の宗教の存在が邪魔なため、キリスト教は徹底的に弾圧された。当時カトリック教会の聖職者は特権階級に属していた。革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められた。
エベールらは「理性」を神聖視し、これを神として「理性の祭典」を挙行した。ロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「最高存在の祭典」を開催した。しかし、ロベスピエールが処刑され、一度きりに終わり定着しなかった。
その後もカトリック教会への迫害はしばらく続いたものの、1801年にナポレオンがローマ教皇とコンコルダートを結んで和解した。
フランス革命が落ち着くのはこの後からで、このことからも宗教色が強かったことが判ると思います。
☆市民革命に関してはもちろん宗教的な背景以外にも経済的な背景など諸々の要素がからんでいる上に諸説があって、簡単に理解できないのですが、そこを曲げて宗教的な側面から簡単に言えば上記の様になると思います。
一神教徒の言う、「唯一にして絶対の神」はいない。 だから、「絶対的な権力を認めずに、みんなでやろう。」となったのが民主主義の復活につながったわけです。
どう思いますか? 納得いきませんか?
それじゃ、次回はもう少し歴史をさかのぼって、「一神教の神」が民主主義を追い出した状況を見てみましょう。


