2007年12月28日(金) 19:40
昨日、パキスタンのブット元首相が自爆テロで死亡が確認され、パキスタンの政治情勢は混迷の度合いを深めているようです。 今回はイスラム教国の民主化について考えて見たいと想います。
では民主主義の概要ですが、いつもの様に『ウィキペディア』からです。
○民主主義は個人の人権である自由・平等・参政権などを重視し、多数決を原則として意思を決定することにより、人民による支配を実現する政治思想である。単純な多数決と混同されることが多いが、単純な多数決では、単に多数であることをもって、その結論が正当であるとの根拠とするものであるが、民主主義として把握する場合には、最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在することをもって正当とする点で異なると主張される。
法的概念における民主主義は、君主制などと対応する概念であり、連邦主義などとは並存するものである。
民主主義の源流は古代ギリシャからあるが、当時から現在に至るまで、多かれ少なかれ対話があったとしても、民主主義は結局のところ多数決方式から抜け出せていない。
また話し合いの場(日本で言えば国会など)で意見が複数出た時は、互いの折り合いがつきにくく、話し合いが長引いて政治が停滞しやすい。
また民主主義を盲目的に広めると、知的教育を受けていない人、非理性的な人も有権者となり、結果として衆愚政治となりかねない危険がある。
☆ここで、重要なのは「その意思決定の前提として多様な意見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在すること」でしょうね。
もう気づいた人は多いと思いますが、この「多様な意見を持つ者同士の互譲」が問題なんですよね。 ハイ。
イスラム教よれば、統治の主権者は国民ではなく神です。イスラムの統治理念では、法イコール「イスラム法」で、その根拠は神が下したコーランとその解釈。だから、法を定めるのは神であって、人間はその法を変更・修正する権利がありません。主権者は国民でなく神(アッラー)です。これは現代のイスラム主義者共通の認識でしょう。
こういう思想下では、多様な意見も出てくる訳もなく、また異なる意見に対しての互譲(ゆずりあい)など寝言に過ぎないと言うことがわかると思います。
まあ、そう言うわけで戒律を守る熱心なイスラム教徒であればあるほど、民主化から遠ざかるというジレンマに陥ることになることをご理解頂けたでしょうか?
では民主主義の概要ですが、いつもの様に『ウィキペディア』からです。
○民主主義は個人の人権である自由・平等・参政権などを重視し、多数決を原則として意思を決定することにより、人民による支配を実現する政治思想である。単純な多数決と混同されることが多いが、単純な多数決では、単に多数であることをもって、その結論が正当であるとの根拠とするものであるが、民主主義として把握する場合には、最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在することをもって正当とする点で異なると主張される。
法的概念における民主主義は、君主制などと対応する概念であり、連邦主義などとは並存するものである。
民主主義の源流は古代ギリシャからあるが、当時から現在に至るまで、多かれ少なかれ対話があったとしても、民主主義は結局のところ多数決方式から抜け出せていない。
また話し合いの場(日本で言えば国会など)で意見が複数出た時は、互いの折り合いがつきにくく、話し合いが長引いて政治が停滞しやすい。
また民主主義を盲目的に広めると、知的教育を受けていない人、非理性的な人も有権者となり、結果として衆愚政治となりかねない危険がある。
☆ここで、重要なのは「その意思決定の前提として多様な意見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在すること」でしょうね。
もう気づいた人は多いと思いますが、この「多様な意見を持つ者同士の互譲」が問題なんですよね。 ハイ。
イスラム教よれば、統治の主権者は国民ではなく神です。イスラムの統治理念では、法イコール「イスラム法」で、その根拠は神が下したコーランとその解釈。だから、法を定めるのは神であって、人間はその法を変更・修正する権利がありません。主権者は国民でなく神(アッラー)です。これは現代のイスラム主義者共通の認識でしょう。
こういう思想下では、多様な意見も出てくる訳もなく、また異なる意見に対しての互譲(ゆずりあい)など寝言に過ぎないと言うことがわかると思います。
まあ、そう言うわけで戒律を守る熱心なイスラム教徒であればあるほど、民主化から遠ざかるというジレンマに陥ることになることをご理解頂けたでしょうか?


