2007年11月25日(日) 20:06
金曜日に二世君と聖徳太子の当たりの話をしていたら、今日はパナソニック・スペシャルで聖徳太子の特集をやっている。 まあ、どんな番組かは見ないとわからないけどね。
その時に、二世君にした話を簡単に言えば「当時の日本は当時の先進国であると同時に超大国であった中国に対して、日本も同じ事が出来るということを証明する事で対等な付き合いを出来るように努力をした。」 その為の仏教や律令制度の導入であった。 日本人の姓名が中国風に短くなっていったのもこの影響。
日本人は世界でも歴史好きな国民なそうで、書籍でもテレビでも歴史を取り上げたものが多いそうです。 ただ、前にも言った様に基本になる歴史観をもたないのでどうもぶつ切りの断片としてか歴史の事象がとらえられず、流れの中でとらえることが苦手なように感じる。
そこで、鹿鳴館なんだけど計画を推進したのは当時の外務大臣 井上馨で井上は不平等条約改正交渉のため、日本が文明国であることを外国人に示す必要があると考えた。
しかしながら仮装舞踏会が開催されると勝海舟が憂国の感を深め訴えたり、西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、書面や日記などには「滑稽」などと記して嘲笑されたりと、評判は芳しくなかった。
そのため、井上の鹿鳴館外交への風当たりは厳しいものとなり、さらに条約改正案(外国人判事の任用など)が世間に知られると、大反対が起こり面目を失した井上は外務大臣を辞任した。 そのため、1890年には宮内庁に払い下げられて役目を終わった。 完成からわずか7年だった。
その4年後の1894年(明治27年)陸奥宗光がイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功するのだが・・・。
鹿鳴館だけを見ているとあまり効果は無かったように思えるがその時代に欧米に日本を認めさせようとして努力した一連の出来事であり、滑稽だったとはいえもっと評価されても良いことでは無いかと思うのですが。
聖徳太子の改革も当時の中国からみれば滑稽な部分は多かったと思いますよ。仏教を導入したにも関わらず、日本古来の神に祈りを捧げているのはどう見ても滑稽でしょう。 それに何事でも最初にやるときには奇異や滑稽に見えるものですよ。 ハイ。
その時に、二世君にした話を簡単に言えば「当時の日本は当時の先進国であると同時に超大国であった中国に対して、日本も同じ事が出来るということを証明する事で対等な付き合いを出来るように努力をした。」 その為の仏教や律令制度の導入であった。 日本人の姓名が中国風に短くなっていったのもこの影響。
日本人は世界でも歴史好きな国民なそうで、書籍でもテレビでも歴史を取り上げたものが多いそうです。 ただ、前にも言った様に基本になる歴史観をもたないのでどうもぶつ切りの断片としてか歴史の事象がとらえられず、流れの中でとらえることが苦手なように感じる。
そこで、鹿鳴館なんだけど計画を推進したのは当時の外務大臣 井上馨で井上は不平等条約改正交渉のため、日本が文明国であることを外国人に示す必要があると考えた。
しかしながら仮装舞踏会が開催されると勝海舟が憂国の感を深め訴えたり、西欧諸国の外交官もうわべでは連夜の舞踏会を楽しみながら、書面や日記などには「滑稽」などと記して嘲笑されたりと、評判は芳しくなかった。
そのため、井上の鹿鳴館外交への風当たりは厳しいものとなり、さらに条約改正案(外国人判事の任用など)が世間に知られると、大反対が起こり面目を失した井上は外務大臣を辞任した。 そのため、1890年には宮内庁に払い下げられて役目を終わった。 完成からわずか7年だった。
その4年後の1894年(明治27年)陸奥宗光がイギリスとの間に日英通商航海条約を締結し、幕末以来の不平等条約である治外法権の撤廃に成功するのだが・・・。
鹿鳴館だけを見ているとあまり効果は無かったように思えるがその時代に欧米に日本を認めさせようとして努力した一連の出来事であり、滑稽だったとはいえもっと評価されても良いことでは無いかと思うのですが。
聖徳太子の改革も当時の中国からみれば滑稽な部分は多かったと思いますよ。仏教を導入したにも関わらず、日本古来の神に祈りを捧げているのはどう見ても滑稽でしょう。 それに何事でも最初にやるときには奇異や滑稽に見えるものですよ。 ハイ。


