2007年09月02日(日) 08:59
【韓国日報】「日韓併合当日、喜んだ朝鮮人が多かったという記録がある。教科書に書いてあるのと違うが…」[08/28] 翻訳文は2chより。
1910年8月 22日、大韓帝国純宗皇帝が臨席した形式的な御前会議で、総理大臣李完用 (イ・ワニョン)は朝鮮と日本の強制併合案を可決させた。日帝はこの事実を1週間も極秘にして おき、8月29日に純宗皇帝の玉璽を捺印させて併合条約を布告した。
庚戌の年に起きた恥辱ということで「庚戌国恥」と呼ばれる。97年前のことだ。この呆れた 知らせを聞いて、錦山郡守の洪範植(ホン・ボムシク)は山に登って首を吊って自決し、梅泉黄 ヒョン(訳注:「ヒョン」は王へんに玄)は「絶命詩」を残して毒を仰ぎ殉国した。その後も幾多 の憂国志士が自決の道を選んだ。 今まで、教科書でそう学んだ。このため、当時の全朝鮮人が当然に悲痛な思いで嘆いたと 思っていた。ところが、必ずしもそうではなかったようだ。
3・1万歳義挙の際に民族代表33人中の1人として活動し、後に主張を変えた崔麟(チェ・リン) は、韓日併合が公布されたその日の鐘路通り(訳注:京城の中心街)の朝鮮人らはまるで 「何事も無かったかのように」賑やかに商売をしたり飲食する「日常」を失わなかった、と述 べている。
これを信じがたいと思ったある歴史研究者は、「俄かには理解できない。もしかしたらこの 日は29日ではなく、李完用と寺内正毅との間で秘密裡に条約が締結された22日の風景 なのかもしれない」と述べた。 しかし、崔麟の記録を裏付ける主張がいくつも出ている。中国の知識人である梁啓超は、 1910年9月に書いた文章の中で、合併条約発表をめぐって周辺国の人々は彼らのために 涙を堪えられないのに、当の朝鮮人たちは楽しそうにしており、高位の官吏らは毎日、新 時代での栄爵を得ようと嬉々として奔走するだけだった、と主張している。
信じがたい言葉だ。ただ、当時の朝鮮人たちが「日常」を失わなかったという点は納得せ ねばならないようだ。実際、8月29日当日は意外に平穏で、反対デモも全く無かったという。 当時の朝鮮民衆は既に諦めの知恵を持っていたのかもしれない。
今更こんな話をしたのは、我々が今日、「愛国心」を云々するのが非難される世の中に暮 らしているからだ。サミュエル・ジョンソンは、「愛国心は悪党がこぼし出す最後の排泄物 だ。」と述べた(訳注: "Patriotism is the last refuge of a scoundrel."(「愛国心は悪党が 最後に逃げ込む場所だ。」)のことか?)。
その主旨には共感するが共感は半分だけだ。韓国は愛国心を叫ぶ声は大きいが、愛国心 は非常に弱い国だからだ。愛国心が弱いから、かえって声ばかり大きくなるのかもしれぬ。
かつて高永復(コ・ヨンボク)は、「我が国の公務員は各種教育はたくさん受けているが、国家に 対する忠誠心と家族に対する愛着心を比べてみれば、驚くほど国家に対する忠誠心が弱い と見える。公務員の腹中には家族を超越した大きい社会などは無く、ひたすら自分と自分の 家族だけが見えているだけだ」と主張した。社会全般に愛国心が乏しいのは大変なことだ、 という慨嘆だった。
一部の先進的な知識人らが国家主義排撃の意図で「愛国心」談論を攻撃する善意に対し て、共感はするものの共感は半分だけだという理由も、まさにこの点にある。愛国心が取り 沙汰されるのは、韓国のエリート階級が自分と家族の利益を社会と国家の利益に優先させ ることが蔓延しているために起こる現象だ。共存共栄の原理さえ実現していないという意味 だ。そのせいで名も無き庶民が愛国心談論に嵌まり込んで悲憤慷慨したりするのだ。
知識人の批判は、庶民のそうした行動よりも、エリート階級の貪欲に向けられるべきだ。現 在の愛国心談論は、そうした貪欲に対する怒りの声に近いからだ。
エリート階級が自分たちの既得権を懸命に固守して、個人・家族次元の貪欲にばかり目が くらんでいては、どんなことが起こるか? 97年前の今日、韓国民衆が見せた物静かさは、 正にそうした冷笑の表現ではなかったか。 (康俊晩(カン・ジュンマン)・全北大学新聞放送学部教授)
☆少しは夢から覚めつつあるのですかね?
まあ、相変わらず韓国では事実を信じられない歴史学者が大半なんだろうから学問と言うより宗教だよね。 「こうであるべき。」という信仰に近い。
それでも、「韓国は愛国心を叫ぶ声は大きいが、愛国心 は非常に弱い国だからだ。」と書く辺りは評価できますね。
それだけ、おしりに火がついてきたとも言えますが。
1910年8月 22日、大韓帝国純宗皇帝が臨席した形式的な御前会議で、総理大臣李完用 (イ・ワニョン)は朝鮮と日本の強制併合案を可決させた。日帝はこの事実を1週間も極秘にして おき、8月29日に純宗皇帝の玉璽を捺印させて併合条約を布告した。
庚戌の年に起きた恥辱ということで「庚戌国恥」と呼ばれる。97年前のことだ。この呆れた 知らせを聞いて、錦山郡守の洪範植(ホン・ボムシク)は山に登って首を吊って自決し、梅泉黄 ヒョン(訳注:「ヒョン」は王へんに玄)は「絶命詩」を残して毒を仰ぎ殉国した。その後も幾多 の憂国志士が自決の道を選んだ。 今まで、教科書でそう学んだ。このため、当時の全朝鮮人が当然に悲痛な思いで嘆いたと 思っていた。ところが、必ずしもそうではなかったようだ。
3・1万歳義挙の際に民族代表33人中の1人として活動し、後に主張を変えた崔麟(チェ・リン) は、韓日併合が公布されたその日の鐘路通り(訳注:京城の中心街)の朝鮮人らはまるで 「何事も無かったかのように」賑やかに商売をしたり飲食する「日常」を失わなかった、と述 べている。
これを信じがたいと思ったある歴史研究者は、「俄かには理解できない。もしかしたらこの 日は29日ではなく、李完用と寺内正毅との間で秘密裡に条約が締結された22日の風景 なのかもしれない」と述べた。 しかし、崔麟の記録を裏付ける主張がいくつも出ている。中国の知識人である梁啓超は、 1910年9月に書いた文章の中で、合併条約発表をめぐって周辺国の人々は彼らのために 涙を堪えられないのに、当の朝鮮人たちは楽しそうにしており、高位の官吏らは毎日、新 時代での栄爵を得ようと嬉々として奔走するだけだった、と主張している。
信じがたい言葉だ。ただ、当時の朝鮮人たちが「日常」を失わなかったという点は納得せ ねばならないようだ。実際、8月29日当日は意外に平穏で、反対デモも全く無かったという。 当時の朝鮮民衆は既に諦めの知恵を持っていたのかもしれない。
今更こんな話をしたのは、我々が今日、「愛国心」を云々するのが非難される世の中に暮 らしているからだ。サミュエル・ジョンソンは、「愛国心は悪党がこぼし出す最後の排泄物 だ。」と述べた(訳注: "Patriotism is the last refuge of a scoundrel."(「愛国心は悪党が 最後に逃げ込む場所だ。」)のことか?)。
その主旨には共感するが共感は半分だけだ。韓国は愛国心を叫ぶ声は大きいが、愛国心 は非常に弱い国だからだ。愛国心が弱いから、かえって声ばかり大きくなるのかもしれぬ。
かつて高永復(コ・ヨンボク)は、「我が国の公務員は各種教育はたくさん受けているが、国家に 対する忠誠心と家族に対する愛着心を比べてみれば、驚くほど国家に対する忠誠心が弱い と見える。公務員の腹中には家族を超越した大きい社会などは無く、ひたすら自分と自分の 家族だけが見えているだけだ」と主張した。社会全般に愛国心が乏しいのは大変なことだ、 という慨嘆だった。
一部の先進的な知識人らが国家主義排撃の意図で「愛国心」談論を攻撃する善意に対し て、共感はするものの共感は半分だけだという理由も、まさにこの点にある。愛国心が取り 沙汰されるのは、韓国のエリート階級が自分と家族の利益を社会と国家の利益に優先させ ることが蔓延しているために起こる現象だ。共存共栄の原理さえ実現していないという意味 だ。そのせいで名も無き庶民が愛国心談論に嵌まり込んで悲憤慷慨したりするのだ。
知識人の批判は、庶民のそうした行動よりも、エリート階級の貪欲に向けられるべきだ。現 在の愛国心談論は、そうした貪欲に対する怒りの声に近いからだ。
エリート階級が自分たちの既得権を懸命に固守して、個人・家族次元の貪欲にばかり目が くらんでいては、どんなことが起こるか? 97年前の今日、韓国民衆が見せた物静かさは、 正にそうした冷笑の表現ではなかったか。 (康俊晩(カン・ジュンマン)・全北大学新聞放送学部教授)
☆少しは夢から覚めつつあるのですかね?
まあ、相変わらず韓国では事実を信じられない歴史学者が大半なんだろうから学問と言うより宗教だよね。 「こうであるべき。」という信仰に近い。
それでも、「韓国は愛国心を叫ぶ声は大きいが、愛国心 は非常に弱い国だからだ。」と書く辺りは評価できますね。
それだけ、おしりに火がついてきたとも言えますが。


