2007年08月12日(日) 00:01
「ああ野麦峠」をご存じだろうか?
ずいぶん前に大竹しのぶが主演して映画化された。原作は、山本茂実さんという方が、紡績工場の女工さんだったお年寄り達に、聞き取り調査したものを本にしたものらしい。
女工達は、親と会社の間で交わされた証文をたてに一日十六時間も働くことを強いられ、病死、自殺に追いやられた工女も少なくなかったということらしい。
まあ、強欲な資本家と搾取される労働者という構図ですね。昔はよくあったパターンです。 別に柴犬はそう言う事実が無かったというつもりはない。かつては今とは倫理感も違って悲惨な事はずいぶんあっただろうから。
柴犬も女工達が脱走しないために、梯子を外した二階に寝泊まりしていたため、火事で女工の多くが亡くなったなんて話も聞いたことがあります。
☆しかし、最近「ああ野麦峠」も当時の一側面に過ぎない事を知った。
それは、大原孫一郎が当時の女工達のために倉敷中央病院の前身である倉紡中央病院を設立したという話だった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より大原孫一郎を抜粋すると
『明治39年(1906年)、社員寮内で感染病を出し社員数名を死亡させた責任を取る形で父が辞任したため、倉敷紡績の社長となる。就任と同時に工員の労働環境改善を図った。従来の飯場制度を廃止し、従業員の確保・食事の手当・日用品の販売等を会社が運営するよう改めた。工員の住居も集団寄宿舎から今日のような社宅に近い状態に改め、駐在医師や託児所までの設備も備えており、更には社員勧誘用の映画までも作った。また、幹部社員に大学・専門学校の卒業生を採用した。また、会社の利益のほとんどを日露戦争などで増えた孤児を救うために孤児院を支援。支援金額は現在の金額では数百億円に上ったと言われるほど。旧来の重役や株主は守旧的や利益主義であり当然これらの改革には反対した。これに対し後に口癖となった「わしの眼は十年先が見える」という言葉で押し切った。』
当時としては、革新的な経営者だったのは間違い無い様です。
大原孫一郎に限らず昔の財界人にはスケールの大きい人が多いね。日中友好を実質的に進めた岡崎嘉平太氏などもそうだけど。
昔の金持ちは何か「世の為人のため」にと行動した人が少なくなかったのに比べ、今の金持ちは自分の私利私欲のみに走っているようなのは時代の流れとはいえ寂しいものです。 ハイ。
ずいぶん前に大竹しのぶが主演して映画化された。原作は、山本茂実さんという方が、紡績工場の女工さんだったお年寄り達に、聞き取り調査したものを本にしたものらしい。
女工達は、親と会社の間で交わされた証文をたてに一日十六時間も働くことを強いられ、病死、自殺に追いやられた工女も少なくなかったということらしい。
まあ、強欲な資本家と搾取される労働者という構図ですね。昔はよくあったパターンです。 別に柴犬はそう言う事実が無かったというつもりはない。かつては今とは倫理感も違って悲惨な事はずいぶんあっただろうから。
柴犬も女工達が脱走しないために、梯子を外した二階に寝泊まりしていたため、火事で女工の多くが亡くなったなんて話も聞いたことがあります。
☆しかし、最近「ああ野麦峠」も当時の一側面に過ぎない事を知った。
それは、大原孫一郎が当時の女工達のために倉敷中央病院の前身である倉紡中央病院を設立したという話だった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より大原孫一郎を抜粋すると
『明治39年(1906年)、社員寮内で感染病を出し社員数名を死亡させた責任を取る形で父が辞任したため、倉敷紡績の社長となる。就任と同時に工員の労働環境改善を図った。従来の飯場制度を廃止し、従業員の確保・食事の手当・日用品の販売等を会社が運営するよう改めた。工員の住居も集団寄宿舎から今日のような社宅に近い状態に改め、駐在医師や託児所までの設備も備えており、更には社員勧誘用の映画までも作った。また、幹部社員に大学・専門学校の卒業生を採用した。また、会社の利益のほとんどを日露戦争などで増えた孤児を救うために孤児院を支援。支援金額は現在の金額では数百億円に上ったと言われるほど。旧来の重役や株主は守旧的や利益主義であり当然これらの改革には反対した。これに対し後に口癖となった「わしの眼は十年先が見える」という言葉で押し切った。』
当時としては、革新的な経営者だったのは間違い無い様です。
大原孫一郎に限らず昔の財界人にはスケールの大きい人が多いね。日中友好を実質的に進めた岡崎嘉平太氏などもそうだけど。
昔の金持ちは何か「世の為人のため」にと行動した人が少なくなかったのに比べ、今の金持ちは自分の私利私欲のみに走っているようなのは時代の流れとはいえ寂しいものです。 ハイ。


