明るく、楽しく、嫌らしく。 難しい事は易しく。 重い話題は軽くさばきます。 syn3の私的覚書きです。
  • 2008/06
  • 2008-07 :
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2008/08
消費カロリー
2008年03月17日(月) 21:36
雲池垢斎殿の所のホームパーティー(柴犬にとっての「飲み会」)に雲池垢斎殿が通われるスポーツジムの女性が参加されました。 その方は何と一日に1500Kcal分の運動をされると言うことで正直驚きました。

以前、柴犬がジムに通っていたときは、バイクを40〜60分こいで400〜450kcalぐらいだったように記憶していたからです。つまり、1500Kcal消費しようとすると3時間位バイクをこぐ計算になるからです。

そこで、今回は消費カロリーについて調べてみました。



☆人間が平地を移動する場合、体重×1kcalのエネルギーが必要。(徒歩や走り)



たとえば60kgの人が10km走ると600kcalが消費される。

そうすると、65キロの体重の柴犬が1500Kcalを消費するためには23kmを走らねばならない。つまり、ハーフマラソンを走らなきゃいけない。 ま無理です。(笑い)


☆人間が運動に利用できるエネルギー源はグリコーゲンと脂肪の2種類あって、脂肪はそれこそ、売ってしまいたいほどあるんですが、グリコーゲンは1800Kcalで多くてもせいぜい2500Kcal程度しかないそうです。

よく、マラソン競技の途中で失速する選手がいますが、あれはどうも体内のグリコーゲンを使い尽くした結果のようです。


人間がエネルギーを作り出す方法は3種類あるらしく。
1. ATP-CP系 瞬発系 7秒程度
2. 解糖系  無酸素運動域 グリコーゲンを分解して乳酸を生成しATPを産生
3. 酸化系  有酸素運動域 脂肪と酸素をミトコンドリアで利用してATPを産生
の三つと言うことです。


ランニング中のエネルギーは、ここまでの速度は酸化系でここからは解糖系みたいに、スイッチ的に切り替わるというわけではなく、ゆるめの運動であれば酸化系の比率が多く、きつくなるつれ解糖系の割合が増えるということのようです。

つまり、マラソンの選手はグリコーゲン+脂肪で走っているわけで、カーボローディングを失敗してグリコーゲンの体内蓄積量が不十分な為に途中でグリコーゲンが枯渇。脂肪エネルギーだけで走る羽目になり、失速。 と言う流れでしょうか?

そう言えば、Yamaちゃんが「前日に、焼き肉を食べたり、アルコールを飲んだりすると、翌日の登山にこたえる。」と経験則を言っていましたが、カーボローディングの見地から言えば的を射ていることがわかります。

そう考えると、1500Kcal を消費する彼女は日常の食生活でのカーボローディングが文字通り「身に付いて」いるんじゃないかと思うわけで・・・。 今度会ったらどんな食生活なのか聞いてみたいものです。ハイ。

窪塚に見るマナイズム
2008年01月20日(日) 23:06
『イチローに見るアニミズム』を書いたので、マナイズムに関しても書いておきたい。


○窪塚洋介9階から飛び降りるも生存の奇跡


え〜。 知っている人が多い有名な事件です。マンションの9階と言うと、高さ26メートル。 と言うことは位置エネルギーを運動エネルギーに変換して・・・。  速度を求めると・・・・。


9.8*26*m*2*=V^2   秒速22.57m   時速81.26km  



良く生きていたものです。 などと感心している場合ではない。(笑い)


普通じゃないと思っていたけど、この一件で別の意味で普通じゃないと思ったね。

つまり、「神懸かり」と言うか「憑き物」と言うてのやつです。


こういう人智を超えた超自然的な力を崇拝する事を『マナイズム』と言います。




○ラッキーコイン

『縁起を担ぐ』ってのがありますが、これを持っていると「ついてるぜ」と言うのもマナイズムです。 そう、超自然的な力を認めているわけですから。

窪塚も再び似たようなことで、奇跡的に助かる様な事があれば次は神にでも祭り上げられるかもね。(笑い)


でも、逆に悪い方も有るわけです。そう言うのが、『祟り』『呪い』になったり

『ケガレ』
部落差別に繋がっていくのですが、それは又別の機会に。




☆県南の倉敷にも雪が降った上に積もりました。何年かぶりだと思います。 明日の昼頃まで降るようです。 明日は大変だね・・・。 お〜。 さむ。
オープン・ソサエティ
2008年01月18日(金) 17:10
前回の「神への諦めが民主主義を復活させた」に関連して興味深いのがカール・ポッパーの『オープン・ソサエティ』という考え方なので、これに触れてみます。 (前の記事を読むと尚理解できると思います。)



○オープン・ソサエティとは? 


”ジョージ・ソロスの世界秩序の崩壊 「自分さえよければ社会」への警鐘 ”より。

カール・ポッパーの『開かれた世界とその敵』 

カール・ポッパーによると、「ファシズム、国家社会主義、共産主義らのイデオロギーには共通性があって、どれもが先ず自分たちは現実に対する唯一有効な解釈を手中にしていると主張し、自分たちの見解に対する絶対的忠誠を要求する。 」と言うのである。

しかしながら、人間は究極的な真理には手が届かないから、これらのイデオロギーを社会に押しつけるには、権力その他の強制力を行使するしかない。 これによって、社会は結局クローズド・ソサエティになる。



☆面白いでしょう。 気がつきましたか? ”イデオロギー”を”教え”と言い換えたらどうでしょう?

「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教らの教えには共通性があって、どれもが先ず自分たちは唯一絶対な神を手中にしていると主張し、自分たちの神に対する絶対的忠誠を要求する。」


で、オープンソサエティーは何かというと。(カール・ポッパー事態は明確に定義しなかったが。)


『オープンソサエティとは、誤謬性(ごびゅうせい:人間は不完全であり必ず過ちを犯すという意味らしい)を前提として、その過ちを適宜修正することにより発展する社会。』だそうです。



*ソロスの歴史観はどうかと思うので本は薦めませんし、ソロスも好きじゃないです。(笑い)
神への諦めが民主主義を復活させた
2008年01月16日(水) 22:01
先日、イスラム教圏では民主主義が難しいという記事を書載せました。 読んで頂いた方の中には、「それじゃ同じ一神教のキリスト教やユダヤ教はどうなんだ。キリスト教は民主主義の生みの親だろう?」と思った方も多いのでは。 実は、柴犬もつい最近までそう思っていましたから。

調べてみると西洋における民主主義は、彼らが信仰を捨てる又は妥協することで成立したことが判るんだけどね。 いや、本当に。 でも、そう言う見方で歴史を見てないと見えない?


ハッキリ言います「一神教の神を捨てた所から民主主義は復活した。」 



あるいは「絶対を諦めたので、民主主義が復活した。」 (神は絶対だから)




と言うことです。復活したと書いたのはご存じの様に、古代ギリシャ・ローマで既に 民主政治と言うものが芽生えていたからです。(もちろん現在の民主主義とは異なります。)

では、どうしてギリシャ・ローマに既に存在した民主政治と言うもの欧米に起こる市民革命を経るまで成立しなかったかと言うことが疑問だったのです。 不思議に思っていた人。 いるでしょ。 多分、いると思います。

では、近代民主主義の発端となった市民革命を宗教的な面から見てみましょう。



○清教徒革命(イギリス) 絶対主義からの脱却

清教徒革命『ウィキペディア(Wikipedia)』より

清教徒革命/ピューリタン革命(せいきょうとかくめい/ピューリタンかくめい、英語:Puritan Revolution または Wars of the Three Kingdoms)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命である。広義には1638年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、「大反乱」「三王国戦争」もしくは名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる。

この革命で重要なのは、「チャールズ1世は王権神授説にもとづき議会と対立」したと言うことです。つまり、王権神授説「王権は神から付与されたものであるから、王は人民に拘束されることがなく、王のなすことに対して人民はなんら反抗できない」をより所とした王側に対して議会が勝利し、王権神授説を基にする絶対主義から脱却したわけです。



○フランス革命

ベルサイユの薔薇のおかげでフランス革命を知らない人はいないけど、その意義を判っている人は多分少ない。近代民主主義の興りは『フランス革命』によるところが大なのだけど、どうも我々日本人はフランス革命と言うと、マリーアントワネットやルイ16世のギロチン処刑イメージが強くてね〜。 王侯貴族社会への反抗と思っている人が多い様ですが。 第一身分である聖職者及び第二身分である貴族に対して第三身分である平民が反乱を起こしたのであって、宗教革命としての一面が大きいのですよ。

フランス革命 キリスト教との関係 『ウィキペディア(Wikipedia)』

革命派には無神論者や「理性主義」者が多く、その信奉する教義・主義に既存の宗教の存在が邪魔なため、キリスト教は徹底的に弾圧された。当時カトリック教会の聖職者は特権階級に属していた。革命勃発以来、聖職者追放と教会への略奪・破壊がなされ、1793年11月には全国レベルでミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類がことごとく没収されて造幣局に集められた。

エベールらは「理性」を神聖視し、これを神として「理性の祭典」を挙行した。ロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「最高存在の祭典」を開催した。しかし、ロベスピエールが処刑され、一度きりに終わり定着しなかった。

その後もカトリック教会への迫害はしばらく続いたものの、1801年にナポレオンがローマ教皇とコンコルダートを結んで和解した。

フランス革命が落ち着くのはこの後からで、このことからも宗教色が強かったことが判ると思います。



☆市民革命に関してはもちろん宗教的な背景以外にも経済的な背景など諸々の要素がからんでいる上に諸説があって、簡単に理解できないのですが、そこを曲げて宗教的な側面から簡単に言えば上記の様になると思います。

一神教徒の言う、「唯一にして絶対の神」はいない。 だから、「絶対的な権力を認めずに、みんなでやろう。」となったのが民主主義の復活につながったわけです。 

どう思いますか? 納得いきませんか?

それじゃ、次回はもう少し歴史をさかのぼって、「一神教の神」が民主主義を追い出した状況を見てみましょう。

『姓差別』後編
2008年01月11日(金) 20:58
世界は『姓差別』に満ちているのがおわかり頂いたでしょうか? そこで、本命である。





○第一次創氏改名 乙支文徳はなぜ消えたのか?


乙支文徳(ウルチムンドク)は韓国の人ならだれでも知っている英雄だそうだが、現在の韓国にこのような姓名を持つ人は聞いたことがない。

これは、新羅中代に唐の影響で姓名を中国風に、いや中国そのものに改名してしまった為である。 もちろん姓を持っていたのは当時の支配階級だけで被支配階級には無縁の話ではあるが。

この話は、雲池垢斎殿が以前ポロッと教えてくれた話を調べて判ったのですが、実は 呉善花さんと井沢元彦氏の共著である「やっかいな隣人、韓国の正体」にも書かれていた。

実は、これに似た改名は日本でも行われていて、ご存じ聖徳太子が行った改革に前後して日本人の名前も短くなったのはこのせい。つまり、中国的に姓と名を1〜2文字の構成となった。これは中国では姓は一文字の方が偉いと考えられて為で、長い姓は蛮族と見なされたことによる。 

韓国と日本が大きく異なるのは、韓国が「李」「金」などの中国に既存の姓を多く用いたにたいして、日本は中国にはない日本独自の姓を付けたことが大きく異なる。これは、隋・唐に冊封し隷属していた韓国と、冊封を拒否してあくまで独立を貫いた日本の精神的な差がそうさせたと柴犬は思う。

☆当時の韓国の支配階級はなぜ中国の姓を名のったのか?まあ、考えて見てください。






○第二次創始改名 李氏朝鮮での姓名



いわゆる創始改名については、他で多く取り上げられているので、ここでは『姓差別』の視点で考えてみたい。

先ず、第二次創始改名以前の李氏朝鮮の姓名はどうだったかというと・・・。

李朝時代には職業分化の中から,職業と結びついたかたちで〈七般公賤,八般私賤〉などと呼ばれる多様な賤民が生まれ、厳しい差別があった。いわゆる白丁(ペクチョン)や公私の奴婢の人々だ。そして、重要なのはこれらの階層の多くに姓の無い(持てない)人が沢山いたことである。

これは、特に李氏朝鮮に限った事ではなくて、近代以前の歴史では至る所に見られる。詳しくは記号君が調べてくれるだろう。(笑い)

☆先ず第一に創始改名では、創始によりこれまで姓を持てなかった階層の人々に与えた。 次に、改名によって日本人と同じ姓名を名乗ることが許された・・・。

これっておもいきり『姓差別』を無くす方策なんだけどね〜。 韓国人が文句言う意味がわからん。 

「姓名を奪われた!」って? そもそも大半の人は姓を持っていなかった上に、両班が持っていた姓も中国様の姓だろう。伝統ある朝鮮民族の姓名は第一次創始改名で失われているじゃんか。



 ウルチムンドクはどこへ行ったんだ!!



☆最後に・・・。

以前在日の友人になんで通名を名乗るのか聞いたら一言。






「差別を受けにくいから。」
  




ま、そうだろうね。   終わり     


『姓差別』前編
2008年01月09日(水) 23:58
「性差別の間違いじゃない?」と思った人は多いでしょうが、今回は『姓差別』です。(笑い)


○「迫害」としての姓

年末に、歴史好きの記号君と白石島に行った際に色々話をしたんだけど、その時彼が「ユダヤ人の姓って、すぐにユダヤ人とわかるように植物・金属・石に制限されていたの、知ってます〜? アインシュタインは”一つの石”だし、リリエンタールは”ユリの谷”だし。つまり、すぐにユダヤ人って判るようにしてたんですよ〜。」と歴史の薀蓄を語ってくれました。(笑い)

正直なところ、「君の名前は?」と尋ねられたときに酔った勢いで、「しょせん名前って、タダの記号でしょ。」って応えて以後、”只野記号”と呼ばれるようになった彼から姓名の薀蓄を聞きたくは無かったが、これが歴史のいたずらというもんだろう。(爆)

そんな事を言っている時に、興味深いHPを見つけました。その名は”スウェーデンとほほ”。そこにあったのが、次の記事です。



○「日本名を使ったら仕事見つかんないよ。」 ”スウェーデンとほほ”より
http://reekan-j.hp.infoseek.co.jp/swetoho5.html

かれこれ10年近くになるけど、学校の先生が「あなたはこっちの人と結婚するから 問題ないけど、外国人は名前がスウェ―デン人や西ヨ―ロッパ人とは違うものだ と、就職活動の時に履歴書すら見てもらえないのよ。外国人名、特にイスラムの 名前だったりするとごみ箱行きだから、あなたが結婚するときは名字を変えるこ とを薦めるわ。」と言ったの。イスラム教徒の友人がたくさんいる私ははっきり 言ってものすごく気分を害したのよね。

ところが最近職安に行って係のおじさん と喋る機会があったんだけど、まずわたしの顔と経歴書を見て「あ、スウェ―デ ン人と結婚しているんだ。よかったな。日本の名前で履歴書を出しても、紙ヒコ ―キにして遊ばれるか、ごみ箱にポイだよ。」と言ったの!何それ、どういう意 味!?「紙ヒコ―キ、分かる?紙でヒコ―キを作って飛ばすの。」、、、スウェ―デン語 は通じています!そうじゃなくて、失礼じゃない??「いや、つまり外国人には就職のチャンスが少ないけれ ど、きみはスウェ―デン人の名字だからチャンスがある、ラッキ―って意味だよ。」 わたしの名前がスウェ―デン人のものでも、面接でスウェ―デン人じゃないって 判明すれば同じじゃないんですか?「面接に呼ばれるだけでも、ラッキ―だと思 わないか?スウェ―デン人ですら失業しているのに。実際に中近東出身の移民はこぞって名前をスウェ―デン人名に変更しているよ。そ うでもしなきゃ、仕事が見つからないってこと。」雇用における外国人差別 はなにも日本だけじゃないのね。でも、職安の係自らこんな差別的発言をしてい いのかね?

なんかさ、自分がひどい事言われてもヘコまないけど、他の外国人を悪く言われる とまるで友人を中傷された気分になって、一日中悲しい思いをしてしまう 。




☆おわかりかな。世界は『姓差別』に満ちているのである。


田嶋陽子女史のように北欧を絶賛する方もおられるが、世の中そんなにきれいじゃないって。 ほんとう。 その辺を判って欲しいです。

で、次回は後編です。 ご期待下さい。

「民主主義を阻害したキリスト教」はもうしばらくかかりそうです。期待されている方はご了承下さい。(笑い)
人はいつから死を意識したか
2007年11月14日(水) 21:05
先日友人と愛媛の小藪温泉に行ったときのことである。 美味しい夕食も終わり酒も入っていい気持ちでYamaちゃんと話していたのだが・・・。

話題は、「日本文化における祟りやケガレ意識はいつどの様に発生したのか?」と言うようなものだった。 その時にYamaちゃんが「ネアンデルタール人は既に埋葬をしていて、しかも埋葬地の周囲から花粉が発見されていることから献花していたことがわかっているんですよ。」と教えてくれました。



凄く興味を抱かせる内容だったので帰ってから調べてみたのですが・・・


■葬儀のはじまり

人間はいつのころから葬儀という形で仲間を葬ってきたのでしょうか。残念ながらいまのところその起源をはっきりと確定することはできませんが、考古学的に人為的な埋葬の跡らしきものを確認することができます。
今から10万年ほどまえに、中近東からヨーロッパを中心に広く分布していたネアンデルタール人は、われわれ現世人類とは区別して旧人類と呼ばれています。彼らの遺跡には、既に人為的な埋葬の跡と判断できる証拠が多数発掘されています。例ばイラクのある洞窟では、遺体の周りから多くの花粉の固まりが発見されました。それらは薬用植物の花粉であることが確認されておりますので、埋葬者が意図的に有用な草花を死者に手向けたものと考えられております。
こうした事実から、ネアンデルタール人はすでに”生命”を精神的に認識していたとする研究者もいます。
またわが国でも届葬(くっそう)やかめ棺などの埋葬形式が縄文時代や弥生時代に行われていました。当時の人々の心のありようをはっきりと知るすべはありませんが、死者にたいする恐れや敬いの気持ちがあったことは間違いないでしょう。 このように考えてくると、人類は”文化”の習得とともに、死を意識し、死者を葬る習慣を形成してきたということができます。戦争や災害などよほどの緊急時以外には、人間はなんらかの形式にもとづいて死者を葬り続けてきましたし、また死者を葬る形式そのものが人間社会の文化の一部を形作ってきたのです。

だそうです・・・。




Yamaちゃんが言うには「縄文人は家の近くに死者を埋葬したが、弥生人は離れたところへ埋葬した。」と言うことなんですが・・・。 死者に対する「恐れ」に起因するものだそうですが正直よくわかりませんでした。 もう少し調べて書きます。

 

 | HOME |   NEXT>>

Designed by GALPOP BLOG + GALPOP.NET