2008年06月16日(月) 20:32
先日、"Battle of Britain"(邦題:空軍大戦略)を見ていたら英軍スピットファイヤのパイロットが左旋回をするときに”Port side"と叫んでいました。 そこで、今日はポートサイドにまつわる話です。
ポートサイドとは船の左側つまり左舷を表す言葉です。 なぜ、このように呼称するかと言えば、文字通りに船をポートつまり港に接岸する方の側だからです。
では、右舷側はどう呼称するかというと、ステアボードサイドと呼びます。 これは、昔のフネは右舷側に舵がついていて接岸時に舵を壊さないように左舷側から港へ着けたみたいです。 今でも船長室が右舷にあるのは、操舵手が右にいた名残りだそうです。
話はこれで終わらなくて、実はポートサイドという呼称は飛行機ににも使われているのです。飛行場のターミナルに停まっている飛行機を見ればわかるけど、乗降口は全部左側です。 つまり、ターミナルもそれようにできています。
じゃなぜ飛行機の乗降口は左側にあるのか?
・・・。
これは、設計上の話なんですよ。 というか、設計上のつながり。
飛行機と言うのは歴史的には最近の乗り物で、船はそのずーと以前から作られていた訳です。 つまり設計の伝統と言うのは船に関する事が圧倒的に長いわけで、15世紀半ばに始まる大航海時代? あるいはそれより以前からあったわけでしょう。 たぶん。(笑い)
そう言うわけで、飛行機を作ろうとしたときに「乗降口どうする?」となったとき、多分自然に船と同じ左側になったんでしょう。 たぶんね。 証言してくれる人が生き残ってないから言質はとれないけど。(笑い)
つまり物事には綿々と続く歴史があるわけで、意外に繋がっているもん何ですよ。
例えば、船は左側通行な訳でもともとは馬車なんかも左側通行だったし、機関車なども同じで昔の映画などをみると列車は駅に右側から入ってくる。 つまり、左に乗降口がある。 最近の電車は両側にあるのが普通になっているので気がつかないが、複線の場合は左側通行です。
もっと言えば、設計図に書かれる番線にTL,BL,WLという基準線を使っている自動車メーカーも多いけど、これももともとは造船から来ていて、そえぞれ
X=TL (traverse line)
Y=BL (buttock line)
Z=WL (water line)
を表している。
WLをウォーター・ラインと呼ぶのはまさしく元が造船用語だからです。
え〜。 もっと書きたいこともありますが今回はこのあたりで。
ポートサイドとは船の左側つまり左舷を表す言葉です。 なぜ、このように呼称するかと言えば、文字通りに船をポートつまり港に接岸する方の側だからです。
では、右舷側はどう呼称するかというと、ステアボードサイドと呼びます。 これは、昔のフネは右舷側に舵がついていて接岸時に舵を壊さないように左舷側から港へ着けたみたいです。 今でも船長室が右舷にあるのは、操舵手が右にいた名残りだそうです。
話はこれで終わらなくて、実はポートサイドという呼称は飛行機ににも使われているのです。飛行場のターミナルに停まっている飛行機を見ればわかるけど、乗降口は全部左側です。 つまり、ターミナルもそれようにできています。
じゃなぜ飛行機の乗降口は左側にあるのか?
・・・。
これは、設計上の話なんですよ。 というか、設計上のつながり。
飛行機と言うのは歴史的には最近の乗り物で、船はそのずーと以前から作られていた訳です。 つまり設計の伝統と言うのは船に関する事が圧倒的に長いわけで、15世紀半ばに始まる大航海時代? あるいはそれより以前からあったわけでしょう。 たぶん。(笑い)
そう言うわけで、飛行機を作ろうとしたときに「乗降口どうする?」となったとき、多分自然に船と同じ左側になったんでしょう。 たぶんね。 証言してくれる人が生き残ってないから言質はとれないけど。(笑い)
つまり物事には綿々と続く歴史があるわけで、意外に繋がっているもん何ですよ。
例えば、船は左側通行な訳でもともとは馬車なんかも左側通行だったし、機関車なども同じで昔の映画などをみると列車は駅に右側から入ってくる。 つまり、左に乗降口がある。 最近の電車は両側にあるのが普通になっているので気がつかないが、複線の場合は左側通行です。
もっと言えば、設計図に書かれる番線にTL,BL,WLという基準線を使っている自動車メーカーも多いけど、これももともとは造船から来ていて、そえぞれ
X=TL (traverse line)
Y=BL (buttock line)
Z=WL (water line)
を表している。
WLをウォーター・ラインと呼ぶのはまさしく元が造船用語だからです。
え〜。 もっと書きたいこともありますが今回はこのあたりで。
2008年03月27日(木) 14:43
不合適的真実 (bu4 ha2 shi4 da zhen1 shi2 プゥハァシィダチェンシィ)
☆不都合な真実
中国共産党はこれまでも不都合な事は隠蔽したり捏造して来たし、これからもそれは続くのは間違い無いだろう。今回のチベット事件に関しても「ダライ・ラマのテロ行為だ。」ととぼけた事を言っているが、そんな戯言だれが信じますかって。
アルピニストの野口健さんが、事情を知るものとして地震のブログに書かれているので是非読んで頂きたい。 この件をアップするには葛藤があったようですが、それに打ち勝って彼の知るままを書いて下さったことに感謝したい。
チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜
そして、これが発端となった有名な動画です。
Shooting like a dog
嘘はとっくにばれているのに、いつまで一人芝居を続けるつもりなのか?
☆不都合な真実
中国共産党はこれまでも不都合な事は隠蔽したり捏造して来たし、これからもそれは続くのは間違い無いだろう。今回のチベット事件に関しても「ダライ・ラマのテロ行為だ。」ととぼけた事を言っているが、そんな戯言だれが信じますかって。
アルピニストの野口健さんが、事情を知るものとして地震のブログに書かれているので是非読んで頂きたい。 この件をアップするには葛藤があったようですが、それに打ち勝って彼の知るままを書いて下さったことに感謝したい。
チベット動乱〜北京五輪出場への条件〜
そして、これが発端となった有名な動画です。
Shooting like a dog
嘘はとっくにばれているのに、いつまで一人芝居を続けるつもりなのか?
2007年10月18日(木) 20:47
あした、10月19日は「ブラックマンデー」から20年目にあたります。
ブラックマンデーって何? って人のためにいつものように ”Wikipedia”から抜粋すると。
○ブラックマンデーとは、1987年10月に起こった史上最大規模の世界的株価の暴落。ニューヨーク株式市場の暴落を発端に世界同時株安となった。
1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)(下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした。更にヨーロッパの各市場へもつながっていった。
しかし、このときの証券市場の激震は、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へは甚大な被害をもたらすにはいたらなかった。
要因
アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年のプラザ合意以後のドル安打開のためにドルの金利が引き上げられる観測が広がっていたことが要因として挙げられる。また、当時普及し始めていたコンピューターによるプログラム取引が、ある程度株価が下落すると損失を最小限にしようと、自動的に売り注文を出す為、売りが売りを呼ぶ負の連鎖が起きたためともいわれている。
この二ヶ月前、FRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことも市場の不安心理をあおっていたと見られる。
☆ウキペディアにはさらっとしか書かれていない「プログラム取引」だけど、本当はこれこそが暴落の大きな要素といわれている。
確かに最初のトリガーを引いたのは他の原因だったろうが、それがプログラム取引によりチェーン・リアクションを起こして訳がわからない内に暴落へと発展していったのだろう。
以前にも書いたけど、大口投資家に用いられたプログラムが似通ったものだったために多様性の原理が働かず、右習えで一気に暴落へと突っ走ることになったようである。
ブラックマンデー以後、「サーキットブレーカー」と言って一定以上に下落した場合は市場の取引事態を一時停止してしまい、市場が冷静さを取り戻してから再開するという手法がとられるようになった。
毎度言うけど「多様性を失ったシステムほど脆いものはない。」というのは覚えていた方が良いと思う。
ブラックマンデーって何? って人のためにいつものように ”Wikipedia”から抜粋すると。
○ブラックマンデーとは、1987年10月に起こった史上最大規模の世界的株価の暴落。ニューヨーク株式市場の暴落を発端に世界同時株安となった。
1987年10月19日月曜日、ニューヨーク株式市場が過去最大規模の暴落。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)(下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした。更にヨーロッパの各市場へもつながっていった。
しかし、このときの証券市場の激震は、その後の金融当局による適切な対応の結果、実体経済へは甚大な被害をもたらすにはいたらなかった。
要因
アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年のプラザ合意以後のドル安打開のためにドルの金利が引き上げられる観測が広がっていたことが要因として挙げられる。また、当時普及し始めていたコンピューターによるプログラム取引が、ある程度株価が下落すると損失を最小限にしようと、自動的に売り注文を出す為、売りが売りを呼ぶ負の連鎖が起きたためともいわれている。
この二ヶ月前、FRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことも市場の不安心理をあおっていたと見られる。
☆ウキペディアにはさらっとしか書かれていない「プログラム取引」だけど、本当はこれこそが暴落の大きな要素といわれている。
確かに最初のトリガーを引いたのは他の原因だったろうが、それがプログラム取引によりチェーン・リアクションを起こして訳がわからない内に暴落へと発展していったのだろう。
以前にも書いたけど、大口投資家に用いられたプログラムが似通ったものだったために多様性の原理が働かず、右習えで一気に暴落へと突っ走ることになったようである。
ブラックマンデー以後、「サーキットブレーカー」と言って一定以上に下落した場合は市場の取引事態を一時停止してしまい、市場が冷静さを取り戻してから再開するという手法がとられるようになった。
毎度言うけど「多様性を失ったシステムほど脆いものはない。」というのは覚えていた方が良いと思う。
2007年09月30日(日) 18:49
30年ぶりに開催された富士スピードウェイでのF1グランプリは新鋭ハミルトンが勝利した。 非白人で初のチャンピョンが実現しそうで興味深いです。
所で、第二次大戦頃に「白銀の怪物車」と呼ばれた車があったのをご存じだろうか? 実はインターネットで検索したのだがヒットしないので記憶を元に書くのだけど、何せ小学校の4年生の頃に読んだ本の記憶なのであまり正確では無いことをあらかじめお断りしておきます。
これはナチスドイツが威信をかけてスピード記録を狙って開発した車で、確かベンツが手がけたと記憶している。 この車当時としては常識外れのスピードで時速400キロを超えた様に思う。
何せイギリスの偵察機がこの車を確認したのですが、見失ってしまい。 次に気がついたら偵察機の遙か前方に居た、「つまり偵察機を振り切った。」と報告される位の怪物ぶりだったそうです。
実はこの車を開発するときに非常に苦労した事があったのですが・・・。
何だと思います?
所で、第二次大戦頃に「白銀の怪物車」と呼ばれた車があったのをご存じだろうか? 実はインターネットで検索したのだがヒットしないので記憶を元に書くのだけど、何せ小学校の4年生の頃に読んだ本の記憶なのであまり正確では無いことをあらかじめお断りしておきます。
これはナチスドイツが威信をかけてスピード記録を狙って開発した車で、確かベンツが手がけたと記憶している。 この車当時としては常識外れのスピードで時速400キロを超えた様に思う。
何せイギリスの偵察機がこの車を確認したのですが、見失ってしまい。 次に気がついたら偵察機の遙か前方に居た、「つまり偵察機を振り切った。」と報告される位の怪物ぶりだったそうです。
実はこの車を開発するときに非常に苦労した事があったのですが・・・。
何だと思います?
2007年09月04日(火) 10:06
テレビを見ていたら、「サンヨー」が「30年前に製造された扇風機に火災の危険性があるので・・・」ってやってました。
調べてみたら正確には、「古い扇風機についてのおしらせとお願い。 30年以上前の古い扇風機は経年劣化により発煙・発火のおそれがあります。ご使用を中止下さい。」とホーム・ページに載っておりました。
http://www.sanyo.co.jp/
サンヨーが過去に温風ヒーターで死亡事故を起こしたことなどもあって、このような処置をしているのだろうけど。 やり過ぎじゃない?
死亡事故に直結するような内容ならともかく、果たして本当に30年前の製品にまで責任を持たないといけない物なのか? おそらく仕様では製品寿命は10年位で設定していると思うんだよね。(実際、リペア部品のスットックは製造打ち切り後6年が普通です。) 30年も使用するのは想定外だと思うのだが・・・。
製造者はどこまで責任を負うべきなのか? 「製造物責任法」いわゆるPL法について調べて見ました。いつも通り「ウィキペディア」です。 長いので結論を言いますと、やはり期間の規定があって。以下の様でした。
期間の制限 本法に基づく損害賠償請求権は、原則として、損害及び賠償義務者を知ったときから3年の消滅時効、または製造物を引き渡したときから10年の除斥期間により消滅する。
☆まあ、そうでしょう動いている限り永久には問えませんよね。 使っている方にも保全責任と言うのがあるでしょうから。
保全責任とは簡単に言えば車で言う車検を受けることだと思って下さい。整備もしないで車に乗っていて、例えばブレーキが効かなくなって事故を起こした場合責任は車のメーカーでは無くて使用者にあると言うことです。 分かります?
もう一つ例を上げれば、依然起こったジェットコースター脱線での死亡事故でも遊園地側が定期点検を受けていない事が問題視されましたが、あれと同じだと考えてもらえば納得が行くでしょうか。
その内家電製品に「10年を越えたら、必ずメンテナンスを受けて下さい。」とか「経年劣化メンテナンスは使用者の責任です」とか、表示される時代が来るんだろうかな〜。
米国みたいに訴訟ばっかりやっていると、現実化しそうですが。 皆さんどう思われます?
もう一つ気になったことが有るのでその内Part2を書きます。(笑い)
調べてみたら正確には、「古い扇風機についてのおしらせとお願い。 30年以上前の古い扇風機は経年劣化により発煙・発火のおそれがあります。ご使用を中止下さい。」とホーム・ページに載っておりました。
http://www.sanyo.co.jp/
サンヨーが過去に温風ヒーターで死亡事故を起こしたことなどもあって、このような処置をしているのだろうけど。 やり過ぎじゃない?
死亡事故に直結するような内容ならともかく、果たして本当に30年前の製品にまで責任を持たないといけない物なのか? おそらく仕様では製品寿命は10年位で設定していると思うんだよね。(実際、リペア部品のスットックは製造打ち切り後6年が普通です。) 30年も使用するのは想定外だと思うのだが・・・。
製造者はどこまで責任を負うべきなのか? 「製造物責任法」いわゆるPL法について調べて見ました。いつも通り「ウィキペディア」です。 長いので結論を言いますと、やはり期間の規定があって。以下の様でした。
期間の制限 本法に基づく損害賠償請求権は、原則として、損害及び賠償義務者を知ったときから3年の消滅時効、または製造物を引き渡したときから10年の除斥期間により消滅する。
☆まあ、そうでしょう動いている限り永久には問えませんよね。 使っている方にも保全責任と言うのがあるでしょうから。
保全責任とは簡単に言えば車で言う車検を受けることだと思って下さい。整備もしないで車に乗っていて、例えばブレーキが効かなくなって事故を起こした場合責任は車のメーカーでは無くて使用者にあると言うことです。 分かります?
もう一つ例を上げれば、依然起こったジェットコースター脱線での死亡事故でも遊園地側が定期点検を受けていない事が問題視されましたが、あれと同じだと考えてもらえば納得が行くでしょうか。
その内家電製品に「10年を越えたら、必ずメンテナンスを受けて下さい。」とか「経年劣化メンテナンスは使用者の責任です」とか、表示される時代が来るんだろうかな〜。
米国みたいに訴訟ばっかりやっていると、現実化しそうですが。 皆さんどう思われます?
もう一つ気になったことが有るのでその内Part2を書きます。(笑い)
2007年08月23日(木) 17:03
☆キゴウ君ほとんど正解なんだけどね。
実は旅客機より先に気圧変動を受けた乗り物があるのをご存じだろうか?
それは潜水艦である。
厳密に言えば気圧変動ではなくて水圧変動だけどね。
潜水艦には窓がない。 でも、ハッチとか艦内のドアを見れば分かるように円形かまたは角に大きくRをとった形状となっている。 まあ、大戦中の戦争映画でも見てもらえばわかると思うのだが。
なにが言いたいかというと、大戦前には圧力変動に対応する為に応力集中を防ぐ方法は潜水艦などにおいて確立されていたし、もっと以前に船舶において応力集中による破損を防ぐ為に角を作らないことは一般的だったと言うことだ。
船舶では一般的だった事が飛行機では何故忘れられたのか? それはハッキリとは分からない。 設計者が知らなかったとは思えない。 が、認識があまかったのかもしれない。人を乗せる上で窓から外がよく見えるように、窓枠を広くされるように要求されたのかもしれない。 (当時、飛行機に乗るのは一部の金持ちだったろうしね。)
当時の工学レベルで考えてもどうも抜けていたような、「コメット号連続墜落事故」。なっとくいかないんだよね〜。
実は旅客機より先に気圧変動を受けた乗り物があるのをご存じだろうか?
それは潜水艦である。
厳密に言えば気圧変動ではなくて水圧変動だけどね。
潜水艦には窓がない。 でも、ハッチとか艦内のドアを見れば分かるように円形かまたは角に大きくRをとった形状となっている。 まあ、大戦中の戦争映画でも見てもらえばわかると思うのだが。
なにが言いたいかというと、大戦前には圧力変動に対応する為に応力集中を防ぐ方法は潜水艦などにおいて確立されていたし、もっと以前に船舶において応力集中による破損を防ぐ為に角を作らないことは一般的だったと言うことだ。
船舶では一般的だった事が飛行機では何故忘れられたのか? それはハッキリとは分からない。 設計者が知らなかったとは思えない。 が、認識があまかったのかもしれない。人を乗せる上で窓から外がよく見えるように、窓枠を広くされるように要求されたのかもしれない。 (当時、飛行機に乗るのは一部の金持ちだったろうしね。)
当時の工学レベルで考えてもどうも抜けていたような、「コメット号連続墜落事故」。なっとくいかないんだよね〜。




